栗野的視点(No.794) 2023年4月7日
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桜に追っかけられ移動する日々
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私にとって桜は忘れられない、とても強い印象が残っている花だ。4月下旬近くのあの日の桜吹雪は映画の1シーンのようだった。今ならスマホで動画撮影をしたのだろうが、20年前はまだ2つ折りのフィーチャーホンの時代。
まるで別れを惜しむように一陣の風によって花びらが私を包み込むように大量に舞ってきた。
妻が他界し、最後を看取ってもらった志免町のホスピスに生命保険会社に提出するための書類を貰いに行った時の出来事である。
20年前とはいえまだ満開の桜は遅すぎるから、ソメイヨシノではなかったのかもしれないが、その頃は桜といえばソメイヨシノしか知らなかった。
時代は下って9年前の4月下旬。弟に最後に会いに行った神戸のホスピスの庭に咲いていたのも桜だった。
その2年後、お袋の病室に飾ったのは啓翁桜。お袋を荼毘に付した時、パートナーと2人で見つめていたのも桜だった。
こうして桜は私にとって特別な存在になった。なにより妻が好きだった花であり、「桜前線を追って一緒に旅しよう」と言い合っていたこともあり、以来、桜を各地に追い求めて写真に撮っている。小さな骨壷に入れた妻の遺骨と共に。
数年前、実家の庭に陽光桜を植えた。ソメイヨシノより少し前に、濃い紅色の花を咲かせるが、今年は異常気温でソメイヨシノの開花が早まったため同じ時期か、逆にソメイヨシノより少し遅れ開花するという逆転現象が見られた。
昨日まで枝に最後の一輪が残っていたが、昨夜来の雨でその一輪も妻の命日を待たずに散ってしまった。
まあ、それはさておき、20年前は桜の種類すら知らなかったのに今ではカンヒザクラ(寒緋桜)、河津桜、オオカンザクラ(大寒桜)、コヒガンザクラ(小彼岸桜)に大島桜、ウコン(鬱金)桜、御衣黄(ぎょいこう)桜と種類も分かるようになったし、桜を追っかけて移動する距離も長くなった。
ソメイヨシノはこの雨でほぼ終わるだろう。この後は八重桜にバトンタッチする。
ところで少し前からソメイヨシノは新たに植えられなくなっている。全国的に老木になってきたのと、ソメイヨシノは病害虫に弱く、特に「てんぐ巣病」にかかり枯れる木が全国で増えだしたからで、代わりに病害虫に強い神代曙(じんだいあけぼの)桜に植え替えられている。
この桜、ソメイヨシノよりは少しピンク色が濃いから、見た目はもっと華やかになる。
なんでもそうだが同じ種類ばかりでは負荷がかかった時に弱いということだ。日本人は前進も退却も皆同じにしたがる。
そのいい例がサービスをする時はサービス合戦のように競って同じサービスを始めるかと思えば、今のようにコスト削減といえば、どこもかしこもが同じような理由をつけてサービスをやめる。
同じ桜ばかり植えるから病気にかかる時は全国ほぼ一斉に病気にかかる。前後左右と同じことをやっているから、ダメになる時は一斉にダメになる。
ITと言えば皆IT。それがどんな内容で、自社には必要なのか、どのようなIT化が自社には合っているのかなどはお構いなしだ。
もう随分前から指摘されたことだが「流行に遅れない」ことのみを柱にしているから立ち止まることをしない。自分の頭で考えることをしない。
この頃思うのは桜の名所巡りはそれはそれで楽しいが、人知れず咲くというか、あまり人に知られていない、有名ではないが見ごたえのある場所が各地にあり、そういう場所で桜を静かに愛でる、そういう鑑賞の仕方をしたいと思うようになってきた。
桜の写真もアップで撮ればどこで撮影したかは関係なく同じに見えるし、桜並木も同じようなものだ。
ともあれ2月下旬の萩しーまーとの河津桜を皮切りに、セツブンソウ、カタクリなどの山野草や梅の花を撮りに各地に出かけ、桜が咲き始めてからはほぼ毎日のように岡山県内はもとより鳥取県、兵庫県まで足を延ばし桜の花を撮ってきた。
今年は桜前線はなく全国ほぼ一斉に開花・満開を迎えたため忙しくて、連日最低でも2箇所は廻るという「桜の追っかけ」ならぬ「桜に追っかけられ」て移動してきた。
その間の記録は
ブログ「栗野的風景」でお楽しみ下さい。
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