団地に車が溢れている
中国で車を持つのは、日本で考える以上に大変である。特に北京・上海などの大都市では。
まず車両価格が高い。例えばホンダの同じ車なら日本で買った方が15%ほど安く買えるはずだ。
それでも皆、車を買いたがる。
中国では車を買うという場合、車両本体とナンバープレート代が必要になる。
まず、ナンバープレート代が高い上に、簡単に手に入らない。
政府が発行数を制限しているからだ。
なぜ制限しているのか。
車が増え過ぎているからだ。
北京では1日1600台のペースで車が増え続けているらしい。
といっても、車を所有するのは金持ちだけだろうと思われるかもしれないが、ある団地を朝覗いてビックリした。
宿泊ホテルが北京の西のハズレだったが、ホテル近くの庶民の団地で見たのは団地内に設けられた駐車スペースに停められた多くの車だった。その光景は日本の団地内の光景と何ら変わるところはなかった。(ブログ「栗野的風景」の写真を参照)
要は庶民が車を買い出したのだ。
これは政府にとって大変な問題である。
建国以来、中国政府の最大関心事は人民対策だが、今最も頭を痛めているものの一つに激増する車対策があるのは間違いないだろう。
庶民の車所有意欲は増えても衰えないだろう。
それにどう応えるのかは大きな問題だろう。
もはや車の規制強化はできないだろう。それでも規制を続けるのか、他の方法で解決するのか。
現在の規制はナンバープレート発行制限とナンバーの数字による走行規制だ。
例えば水曜日に車を走らせることが出来るのは、車両ナンバーが8、9以外の車というように、その日によって走行できる車が決められている。
次世代型、過渡期型、どちらに進む
中国ではなにもかもが急スピードで進んでいる。
そのため我々の過去の経験知が役に立たないこともある。
思いもしない方向に進むことがあるからだ。
中国に面白さ、ビジネスチャンスを感じている人達は、この予測できない部分に面白さ、自身の存在意義を感じているのだろう。
逆に危なさを感じる人は経験知が役立たない予測不可能さ、明日が今日の延長線上にない不確かさに危険性を感じているに違いない。
いずれにしろ量の増大は質の変化を生む。
洋の東西を問わず、政府が常に恐れるのはこの質的な変化である。
自らのコントロールが効かなくなるからだ。
いま中国の車社会は2つの問題を抱えている。
1つは排ガスの問題であり、もう1つは渋滞だ。
後者の対策は市街地乗り入れ規制で、すでに上海などでは実施されている。
この動きを大規模に進めれば、中心部では問題が解決するように見える。
排ガスの問題も、渋滞の問題も。
その一方で公共交通網の整備をさらに充実しなければ人々の不満は高まる。
排ガスの問題では迷っているように見える。
排ガス規制という方向は間違いが、電気自動車という次世代型に一気に進むのか、それとも当面、ハイブリッド車の普及を進めるのか。
ハイブリッド車が過渡期の形だという認識は世界で共通している。
本来なら、という言い方は妙かもしれないが、中国は一気に電気自動車でリーダーシップを取るべきである。
実際、中国政府もその方向に行こうとしているように見えた。
ところが、この1年から半年、電気自動車への熱が少し冷めてきているように感じられる。燃料電池の問題を含め、もう少し技術を高めてから踏み出そうとしているように。
自動車関連産業にとって中国の進路は重大な関心事である。その舵取りいかんによって産業の方向が激変するからだ。
しかし、それ以外の分野にとっても、現在の中国の自動車事情は無視できないものがある。
要はビジネスチャンスが転がっているからである。
1つは今後中国では小型車が売れていくのは間違いない。
もう1つは自動車周辺産業が伸びるに違いない。
例えば北京の車は特に汚い。埃と泥まみれなのだ。
これではせっかくの高級車も台なしだ。
必ず次は車をきれいに磨きたくなる。少なくとも洗車したくなる。
問題は中国の水事情(水不足と水価格の高さ)だが、省エネ洗車は受け入れられるはずだ。
その次に自動車保険ビジネス。
中国の自動車事故は激増している。事故の事後対策が問題になるだろう。これに関してはすでに日本の大手損保会社が中国進出予定を今年発表していることからも明らかだ。
以上、中国で散見した車事情に触れてみたが、旅の感想はやっぱり中国は面白い、だった。
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