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認知症は生きる知恵かも(1)
〜介護疲れで「出口なし」に〜


 認知症も悪いことではない。むしろ生きる知恵ではないのか−−。
数年前、帰省して医師と面談し母の状態について説明を受けていた時、ふと、そう感じた。
 医学的見地からすれば認知症は病気であり、病気である以上治る治らないは別にしてマイナスと捉える。そのため医師はなんとか症状の進行をストップさせようとするし、私達もそういう目で見、接してしまう。すると結構ストレスがたまる。早い話、何度も同じ質問を繰り返されるからイライラするのだ。
 それでもこちらに精神的余裕がある場合はいい。ところが相手はこちらの状況などお構いなしに、自分の都合でいろんなこと(どうでもいいようなこと)を言ってくるし、自由気ままに振る舞う。症状が重くなると徘徊という行動にも出る。これにいちいち返答し、対応しなければならないから、日常的に接している家族はストレスとフラストレーションが極度に高まってくる。

介護疲れで「出口なし」に

 私自身もそうだった。まだ母の認知症が比較的初期症状の頃が最もストレスがたまり、自殺を考えるところまではいかなかったが、介護疲れで自殺する人の気持ちが実感できた。
 その頃、月の半分近くを帰省して母の側で過ごしていたが、日に何度も同じことを聞かれたり、突然情緒不安定になって訳も分からず泣き出し、挙句には「死にたい」と言われる。
 参るのはいままで上機嫌だったのが、突然情緒不安定になりマイナス思考に陥る時だ。もう、そんな時はどこかへ逃げ出したくなり、時にカメラを持って近くの野山に逃避したりしていたが、ある時、吊り橋の上から下を見ていて、このまま落ちれば(まだ「飛び降りれば」ではなかったが)死ねるな、という考えがふと頭に浮かんだことがある。
 危ない、危ない。介護で追い詰められ、ふっとそんな気持ちになった時、そのままふらふらと行ってしまうのだろうと、その時分かった。
「一人で抱え込まないようにしてくださいよ」
 実家近くでデイサービスを行っているケアマネージャーが時々そう言ってこちらを気遣ってくれたが、相談相手がいないと悩みは出口なしの堂々巡りになる。実際その頃、私は胃がキリキリ痛み、このままではこちらが病気になると思ったものだ。
 それでも病気にもならずにいままで来られたのは、一つには私の住所と実家の間に距離があったことがある。なんといっても高速自動車道を走って7時間の距離である。「来てくれ」と言われても即行ける距離ではない。それがよかった。いわゆるオンとオフの切り替えができたわけで、それで精神のバランスが保たれていた。

何段階かに分かれて進む症状

 その後も母の認知症は緩やかではあるが確実に進行していた。このままでは早晩寝たきりになることも覚悟する必要があると考え、迷いに迷い、悩みに悩んだが、最終的に福岡に連れて来て、近くのグループホーム(あるいて30分足らずの距離)に入居させた。
 住み慣れた場所を離れさせることについてはプラスマイナス両面があり、医師等の専門家数人に尋ねたが彼らの意見も分かれた。
 環境の変化で認知症が一気に進む可能性もあるし、環境変化に戸惑うのは最初だけだから、どこでも一緒だと言う医師もいた。結局、誰も先のことについては分からないのだ。
 母の変化について言えば、恐れていたようなこと(急激な進行)は起きなかった。むしろ私に頻繁に会えることを喜んでいたが、それでも故郷への想いは断ち難く、「家に帰りたい」と折に触れ訴えられるのが辛い。その間も認知症は確実に進み、この頃は食事をしたことさえ時々忘れだした。

                                               (2)に続く



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