栗野的視点(No.678) 2020年3月18日
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権力者は災害を利用して独裁化を加速させる。
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変質したニッポン社会
「日本人は秩序を守る」「こういう大災害時でも略奪や暴動が起きない」。9年前、東北地方を襲った地震・津波に原発事故という大惨事の後、海外から驚きと称賛の言葉が日本と、この国の人々に向けられた。
たしかに「3.11」で暴動や略奪は起きなかったのは海外の国々からすれば驚くべき現実で、それは称賛に値するかも分からない。しかし、この時を境に日本人は大きく変質した。あるいはいままで隠れていた悪の部分が顕在化し、見えるようになったと言った方がいいかもしれない。
それまで美徳とされてきた、他者への思いやりや共同体的思考はすっかりなくなり、代わりに自己中心的な考えと犯罪のグローバル化が幅を利かせだした。秋田ではサクランボが、青森ではリンゴが、〇〇では梨が、ブドウが、コメがごっそり盗まれている。ちょうど収穫時期を狙って夜、トラックに積み込んで盗んでいくのだからタチが悪い。被害に遭った農家は年収を丸ごと盗られるわけだからたまったものではない。いや、そんな程度ではない。死活問題だ。
手口から見て、盗んでいるのは同業者たる農家ではないかとも噂されているが、もしそうならなおのこと許せないだろう。農家を狙ったこうした犯罪は年々悪質かつ広範囲になりつつある。
また東北の被災地では住民が避難し一時空き家同然になったり、立ち入り禁止地区になり住民がいない家に不法侵入し、好き勝手に盗んでいく不法者が横行していた。
被災直後こそ略奪はなかったものの1年後にはこうした被害が相次いでいるし、上記のように農産物を狙った略奪も毎年のように各地で相次いでいる状況を見れば、海外から称賛されるようなニッポンはもう過去の話で、今この国を支配しているのは他者、なかでも弱者への思いやりを欠いた、自分さえよければという自己中心主義である。
分断社会が独裁化の土壌
弱者への思いやりを欠いた社会はさらなる差別を生むことは様々な事実が示している。弱者は他者にやさしくなると思われがちだが、実はその逆で、自分より弱者と考えられる人を差別し、彼らより優位に立とうとする。
例えばアメリカでは白人層から差別を受けてきた黒人層はプエルトリコやアジア人を差別していることはよく知られた事実である。そのことは今回の民主党予備選挙の候補者支持にも表れている。
また日中戦争当時、中国で残虐行為を働いたのは東北の貧しい農家出身の兵隊が多かったということも歴史が明かしている。
弱者で差別を受けてきたから他の弱者を守り、差別をなくそうとするのではなく、差別され、虐げられてきた者がさらに下の層を差別し、虐げる構造を生んでいくのはパラドクスとしか言い様がない。
そして怖いのは、この構造こそが独裁化に道を開く土壌になっているということである。
人は平等な関係が維持されている時は強いリーダーを必要としないが、社会が階層化されればされる程、強いリーダー=独裁者を受け入れる要素が強くなる。自らが受けている服従、差別、社会的虐待といったものを、自分より下の階層へそのまま転化していくことで自らが受けている事態との間でバランスを取ろうとするからである。
もう少し平易な言葉で言えば、上の階層から受けた差別の捌け口を自分より下の階層に向けることでバランスを取ろうとする。この縦の階層構造は独裁者にとって都合がいい構造であり、その構造を維持することで自らの権力の維持を図るというのが古今東西行われてきた独裁化の手法である。
トランプ米大統領は自らの支持層、それはインテリジェンスで生活にある程度満足している中間層以上ではなく、かつては白人優位社会の中でそれなりの恩恵に浴していたが、その立場を非白人や移民の子孫達に奪われ、立場が逆転してきた「持たざる層」に向け、極端な言葉で「過去の栄光」を取り戻せと訴えている。
こうして人々(彼の支持層)の不安を煽り、下の層への差別を助長させることで、自らに対する支持をより強固にしようと目論んでいる。 (2)に続く
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