栗野的視点(No.785) 2022年12月13日
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日日是平穏が望めない
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11月上旬から山口、広島、岡山、兵庫の各県を回り紅葉の撮影を続けてきたが、それも11月末で終えた。
その間、巡ったのは山口県の大寧寺、美祢市厚狭川、同青嶺高校の銀杏並木、広島県は尾関山公園、唯称庵跡、筒賀の大銀杏、岡山県が奥津渓、宇甘渓、閑谷学校跡、近水園、奈義町菩提寺の大銀杏、鶴山公園、半田山のドウダンツツジ、兵庫県は播州清水寺、丹波の石龕寺、洞光寺、大国寺、姫路好古園、佐用町の大銀杏等で、ほぼ毎日のように走り回っていた。
山口県を除けばいずれも岡山県北東部の実家から中国道を走って2時間弱で行ける距離故、気負うことなく行けるとはいえ20日間程でこれだけ巡ったのでほぼ出ずっぱりだった。
中にはタイミングが今一つで改めて再訪した方がいい場所も何か所かあるにはあったが、大体いい時期に行けたのではないか。
(その間の写真は「栗野的風景」にアップしているのでそちらでご覧ください)
山陽道沿いにも行きたかったが、中国道を走る方が行きやすいので瀬戸内の方はちょっと構えてしまう。来年は瀬戸内の両側をと思うが、来春の桜の頃に四国、淡路島、和歌山を巡ってみたいものだ。とはいえ段々長距離運転が心配になってきつつあるので望みが叶うかどうか。いっそ車をやめて列車の旅にするのもいいかと思ったりしている。そうすればJRの乗車率アップに少しは貢献できるだろうか。
自然を相手の撮影は紅葉や花の咲き具合い、天気や光の角度・加減に至るまで全てが自然任せで、人間の都合や我が儘が一切通じず相手に任せるしかない。そこが他力本願と似ている。
撮影中はカメラの小さな覗き窓を通して被写体を見ている。それ以外は見えないし、そこから見える世界が全てだから無心になれるし穏やかな気持になれる。
だがひと度人間社会に戻れば、目を覆い、耳を疑うような情報がこれでもかとばかりに飛び込んで来るから、とても心穏やかな生活など望むべくもない。
かつて警察官や教師は信頼され尊敬される職業だった。たしかに「でもしか先生」という言葉は1960年前後から存在した。「先生にでもなろうか」とか「先生にしかなれない」という使われ方をしていたから、あまり前向きな意味はない。
他に就職できないから「先生にでも」なるか、一般社会では潰しがきかず「先生になるしかないか」と周囲からも思われた人間が教師になっていたのだから、教師の質は推して知るべしというところだろう。
だが大事なのは入り口ではない。「でもしか」で教師になった人でも、その後真面目に取り組み生徒や地域の人達からも慕われる教育者になった人は多い。少なくとも問題を起こす教師は少なかった。警察官も然りだ。
それが今ではどうだ。警察官も教師も消防士も医師も職業倫理感はほぼゼロ。勤務時間内に職場でのSex、着服、万引き、窃盗、殺人などありとあらゆる犯罪が行われている。もうルールなどありはしない。それも20代の若者ではなく分別があるはずの40代、50代がこうした犯罪に手を染めているのだからもう世も末だ。社会のルールを教えなければならない側がルールを守っていないのだからまともな子供、生徒が育つはずはない。
そういえば実家側の中学に通う生徒は毎朝「おはようございます」と挨拶をしていくので感心しているが、挨拶をする教師に出会ったことはないし、時速30kmの道路を毎朝50km超で車を走らせ校内に入っていく。
礼儀正しい生徒とルールを守らない教師達。この矛盾に彼らは気付かないのだろうか。
矛盾と言えば今冬の節電の呼びかけ。またまたウォームビズを提唱した知事が電力不足への対応として「タートルネックの着用」を提唱した。着るもので体を暖かくして暖房電力の使用を減らそうと呼びかけているわけだが、個人の家庭レベルの話なら家計上でも省エネ対策としても納得できるし、反対すべき話ではないが、これが政治家や知事レベルの提唱となればあまりにもみみっち過ぎる。
たしかに小さなものでも積み上げれば大きくなるのは分かるが、この頃はなにかといえば個々人の努力に頼りたがる。
その一方で、冬になればありとあらゆるところに明かりを灯したがる。イルミネーションは年々増え、明るくなる。電力消費量の少ないLEDに変えていると言うが、その分点灯時間を長くしたり、LEDの数を増やせば果たして省電力になっているのか疑問だ。
政治家たるもの個人に努力を押し付ける前に、まず公的な部分で節電を図り、極力各家庭に不便をかけないようにすべきだと思うが。
とにかくこの頃おかしなことだらけで、人混みを避け自然の中で撮影でも楽しみたいと半田山植物園(岡山市)に出かければ入口で係りの女性が検温をしろとしつこく迫る。検温をしなければ入園させないつもりらしい。
園内でイベントがあるわけでもないし、見たところ入園者もほとんどいない。当然人と接することもない。そんな自然の中で検温することに意味があるのか。とっとり花回廊(鳥取県)でも以前同じことを要求されたが、38℃前後も熱のある人間が外出しはしないだろう。
政府の対応でさえ変わってきているというのに末端の公務員、準公務員や現場の人間は一度出された指示を頑なに守り続ける。何か起きた時に自分のせいにされるのを恐れるからだ。
これは言い換えれば、何かあった時の責任を現場の人間に押し付け、決して上司が責任を引き受けようとしない無責任体制が染み付いているからに他ならない。現場の対応を変えるには上が再指示を出す以外にはないわけで、そういう硬直した体制が日本経済をダメにしている。
また一般の飲食店は別にしてもホテルの宿泊客用の夕・朝食場所でテーブルにアクリル板を設置し続ける無意味さ。隣席との間に仕切板を設置するのはまだ分かるが、家族、カップルなど同部屋の宿泊客が食事するテーブル上にアクリル板を設置しても全く意味がないと気づかないのだろうか。
こうした硬直した姿勢がCOVID-19から日本経済が立ち直るのを遅らせている。
日々穏やかに過ごせる生活を望んでいるが、旅行に出かけても、自然の中に出かけても穏やかな気分になれないとなれば引き籠もるしかなくなる。引き籠もってばかりでは足腰が弱り認知症のリスクが増すだろう。なんとも嫌な世の中になったものだ。
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