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「コロナ」が変えた社会(T)
〜民主主義が崩壊し、戦時中に逆戻り(1)」


栗野的視点(No.687)                   2020年5月24日
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「コロナ」が変えた社会(T)〜民主主義が崩壊し、戦時中に逆戻り
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 「コロナ(COVID-19)」前と「コロナ(COVID-19)」後−−。この社会を語る時、そう言われる時代が来るだろう。それ程この新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は我々の社会を大きく変えてしまった。
 では、COVID-19により我々の社会や世界はどのように変わってしまったのか。そのことを今後、何回かに分けて論じてみたい。

時代は逆行している

 世界が最後の大規模戦争を終えてから70年余りたち、民主主義に基づく新たな秩序を曲がりなりにも築いてきたはずだったが、それはあまりにも脆く、そしてCOVID-19によってあっさりと覆されてしまった。
 そのことに私は何より強い危機感を抱いている。こんなにも人は弱く、民主主義は脆かったのかと。

 とりわけ気味悪いのは、COVID-19によってもたらされた「新しい秩序」に対して異を唱える声が皆無に等しいほど聞こえて来ないことだ。誰も彼もが「大きな政府」を支持し、いままで「規制」に対し反対だった人も今回は皆口をつぐむか、率先して賛成したり、「規制が緩い」と逆に政府をけしかけさえしている。

 少しでも歴史を学んだ人は、こうした風潮に既視感を覚えるに違いない。まるで日本が日中戦争に突き進んで行った当時と同じ社会雰囲気ではないかと。
 当時、議会も新聞も軍部の強行的な動きに批判的だった。ところが戦争が勃発すると態度を一転し、戦果を連日報道し、戦意を高揚させる報道に変わって行った。この姿勢は太平洋戦争が終わるまで続いた。「欲しがりません勝つまでは」と国民に忍耐を強い、大本営発表の一方的な情報を流し続けたのだから、戦争の片棒を担いだと批判されても仕方ない。

 戦後はその反省に立ったはずだったが、今メディアは当時と全く同じことをしている。試しにどのチャンネルでもいいから変えてみるといい。まるで金太郎飴のように、どこも同じ内容を繰り返し報道している。
 1つの見方、1つの考え方を繰り返し流し続けられた視聴者は潜在意識の中に1つの考え方を植え付けられ、やがて皆が同じ思考、同じ行動を取り始める。いわゆる洗脳だが、今そのことを疑う人はいない。戦争には反対するが、相手がウイルスだと許されるのだろうか。

 人は見えるもの、前からかかって来る相手には防御するが、見えない相手、後ろから不意に襲われると怯え、冷静な判断を失う。そして気が付いた時には相手に従わされている。

 その同じことが今行われている。人々は他に選択肢がないと思い込み、一致団結して事に当たろうとする意識が芽生えている。そのことは悪いことではなく、団結心、連帯感を生み、助け合おうとするのはいいことだ。
 こうした行動は東日本大震災や、それに続く福島原発事故の際に見られたし、世界各地で起きた大災害直後にもよく見られる光景である。

 その一方で逆の動きも見られる。「風評被害」という言葉で一括りにされているが、福島県産の農産物が放射能で汚染されていると拒否され、未だ一部農産物の輸入を認めていない所さえある。
 これは怯えから来る過度な防衛意識だが、今回のCOVID-19ではより広範囲に、より極端かつ過激な形で現れている。
                                           (2)に続く


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