Google

 


ジャーナリズムは死んだ!


 ジャーナリズムは死んだ−−、と言えば何を今更と言われそうだ。たしかにジャーナリズムが死んだのは今に始まったことではない。過去何度も死んでいる。それでも一部で細々と生き残っていたが、それは決してマスメディアの中ではない。
 同じことは政治家にもいえる。政治屋はいても政治家はもう死んでしまった。この2者が死んだのは偶然でも奇妙な一致でもない。それはまさに必然だった。
 ジャーナリズムの重要な役目の一つは権力を監視し、人々に正しい情報を伝えることだ。ところが今、ジャーナリズムは権力を監視するどころか権力と手を組み、権力に都合のいい一方的な情報を流し続けているのだ。

 権力と結託したマスメディアが好むのは政策ではなく政局だ。もっとはっきり言えば政局にしたがるのだ。政局に仕立て上げた方が、読者が面白がり、紙媒体は部数が、電波媒体は視聴率が伸びるからである。
 政局にするためには対立軸、それも分かりやすい対立軸がいる。存在しなければ無理矢理にでも作り上げる。TVの「水戸黄門」は打ち切られたが、政局劇ではまだ存在している。劇を面白くするためには悪代官を作らなければならない。売り出し中の悪役が一番だが、見当たらなければピークを過ぎた悪役、「昔の名前で出ている」役者でもいい。とにかく悪役然とした役者、顔を見るだけで誰もが「こいつが悪」と分かりやすい役者がいいのだ。かくしてそういう人物を作り上げることになる。劇の中身などどうでもいい。彼らの関心は政局になりさえすればいいのだ。
 マッチポンプである。自分で火を点け、ポンプで水をかけて消火するわけだが、水の代わりに灯油(ガソリンほど勢いよく燃え上がらないが)が入っているから、消えるどころか燃え上がり、期待通りの政局になる。

 例えば消費増税法案。26日に可決するのだろうが、このところマスメディアが報じているのは反対票が何票になるか、離党組は何人かという話ばかり。コメンテーターと称する人達が喋る内容も政局の行方ばかりだ。
 ちょっと待て! と言いたい。中身の話はどうでもいいのか。なぜ、消費増税なのか。この時期に消費増税をすればどうなるのか。逆累進課税の解消はどのようにするのか。社会保障と税の一体改革と言うが、増税先行でセーフティネットの社会保障の方は「棚上げ」でいいのか。
 マスメディアの役目は本来そうした点を指摘し、議論をそちらに誘導すべきではないか。ところが現実に彼らが行っていることはその逆で、政局の方に国民の目を向けることばかりだ。

 一部に「マニフェストに固執すべきではない」という論があるが、本当だろうか。もちろん一字一句変えるなという言うつもりはないが、マニフェストは選挙の際に有権者に約束したことである。その約束を「一つも守らず」、約束も謳いもしなかったことを突然打ち出し、その実現に「政治生命を賭ける」とはどういうことか。
 「それは話が違う」と言うのは当たり前だし、そう言う方に理がある。理のない政治は欺瞞である。権力者が欺瞞に満ちた手を使おうとする時、それを暴き、指弾するのがジャーナリズムに課せられた役目である。マッチポンプでさえ許されないのに、権力者と一緒になって合唱するとはもってのほかだ。

 ついでに言えば、いつまでも昔の名前を持ち出して不安を煽ろうとするが、もう「小沢一郎」ブランドにかつての力はない。そのことを彼ら自身も知っているはずなのに、またしては色あせたブランドを持ち出し、政局にしたがる。
 小沢氏は98%離党しない。
「色々勇ましい話は聞こえてくるけど、欠席とかでなく、本当なら本会議場で反対票を投じるべきです」と言ってのけた田中真紀子氏の言葉が如実に物語っている。
 ただ、小沢氏が実際に離党するかどうかは別にして、「デフレ不況の今増税すべきではない。その前にやることがある」という彼の言葉の方に理があるのは事実だ。
 理ではなく、好き嫌いで行われる政治の世界は民主主義とは程遠いものであり、国民から自由を奪い、不幸な社会に突き落とすのは過去の歴史が示している通りである。その片棒を担いだのが当時のマスメディアであり、彼らはその反省をしたはずだが、今また同じことをしようとしている。権力に加担しようとしている。
ジャーナリズムの役目はいついかなる時代でも権力を監視・チェックすることである。それを放棄し、権力に魂を売った瞬間、ジャーナリズムもジャーナリストも死んでいる。

 会社の借金が増えている。ただ借金している相手は身内で、他人は非常に少ない。対外的なイメージはあまりよくないし、そのことを不安視する向きもあるが、すぐさま借金の返済を迫られることはない。だが、このまま借金し続けていけば、やがて行き詰まる。だから、この際値上げしたい。
 もし、ある企業がそう表明したらどうだろう。メディアは原因を追及・解明し、対策について質すことより、役員会の賛成・反対票の行方の方を気にし、そちらを報じるだろうか。
 それとも、値上げの前にまず身を切る努力をすべきだ。経費の削減、人件費の削減、所有不動産の売却等を行い、それでも間に合わない時に値上げをすべきだろうと指摘するだろうか。まず間違いなく後者のはずである。

 では、なぜ消費増税の場合、同じように追求しないのか。国会議員の定数削減、公務員改革、周辺相場に比べあまりにも安すぎる議員宿舎家賃の見直し等々を先に実施した後に、国民に増税のお願いをすべきだ、と主張しないのか。
 民主党政権になってから整備新幹線未着工区間は次々にゴーサインが出ているし、廃止を主張していた八ツ場ダム建設も建設継続を決めるなど、マニフェストで国民に約束したことを次々廃止したばかりか、先頃、安住財務大臣は「議員年金を廃止したのは早計だったと思っている」とさえ国会で答弁さえしている。
 これでは自民党政治以下だ。そうした点を指摘しないマスメディアにもはやジャーナリズムは存在しない。彼らは権力者のスポークスマンでしかない。権力者とマスメディアにここまで愚弄されながら怒りを忘れ、黙っているこの国の民も問題だ。

 ずる賢い奴らに欺されるな。
好き嫌いではなく、理で判断しろ。
怒りを取り戻し、不正にノーと言おう。
大人を、政治屋を信じるな。
耳当たりのいい言葉に欺されるな。
少数の意見に耳を傾けよ。
約束を破る奴を信じるな。

「カスタム名刺」でアピール力UP!
ビジネス名刺専門通販サイト「名刺通販ドットコム」


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る