世の中SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)流行りである。何をいまさらと言われそうだが、米大統領や都知事までがするのだから、全国あまねく広がり、皆が使っていると思っていいだろう。例えるなら車の運転か携帯電話。まあ当たらずと言えども遠からず。それほど一般化しているのではということだ。
国や自治体のトップが多用するぐらいだから、よほど便利、有用なのだろうと思うが、私はSNSの類いを利用したことがない。利用経験がないどころか使ってみたいと思ったことがない。と言っても時代遅れのアナログ人間というわけではない。一応PCもタブレットもスマートフォン(スマホ)も使っているし、スカイプも利用しているが、なぜかSNSの類いだけは使ってない。
SNSには潜在的な思考停止が
ところで改めて「SNSって何?」と尋ねればどういう答えが返ってくるだろうか。「ソーシャル・ネットワーキング・サービスのこと」と言われれば、今度は「ソーシャル・ネットワーキング・サービスって、どんなサービス」と聞かなければならない。もっと分かりやすい言葉はないのかと思うが、「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」とか「人と人とのつながりを促進・支援する、コミュニティ型の会員制ネットサービス」ぐらいの説明しかないから、ひと言で表現できないのだろう。ツイッターとかフェイスブックのようなものと言えばいいのだろうが、それらを利用していない人にはこの説明でもピンとこないだろう。
なぜ分からないのか。それは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」という言葉が概念化されてないからだ。概念化されてないものは想像したり、思い浮かべることができない。つまりイメージ化できないから理解できないわけで、集団の過半数がその言葉でイメージできるようになれば概念化できたことになるが、まだそこまで広がってないということだ。
それはさておき、私がツイッターやフェイスブックを使わないのは次のような理由からである。
まずツイッター。最初の頃、日本では「つぶやき」と訳されていた(今でもそうだが)。この言葉を聞いた時、まず自分には縁がないと感じた。「つぶやき」は独り言とほぼ同義語である。ネットで独り言を言おうとは思わないし、つぶやいてどうするのだという思いがあった。
少し後にツイッター(Twitter)はツイート(Tweet)から来ていて、Tweetとは鳥の「さえずり」のことだと知ったが、短文で次から次にチッチッチとさえずるのも趣味ではなかった。
メールはずっとPCメール中心で、ケータイからメールを送るのはごく短い連絡文だけ。スマホに代わった今も基本的には同じだ。
ケータイメールを送ってくる人は一つの文章が非常に短く(短いから)、何度もメール交換をしなければならない(短文を何度も送ってくる)。それで時間を取られて懲りた経験があり、以来その種のメールは使わない。
しかし、ケータイメールで慣れている世代、言い換えればPCをほとんど使わないか使ったことがない世代(実はこの層が年々増えているようで、企業では入社後にPC操作を教えなければならなくなっているとか)にはツイッターへの違和感はない。むしろPCメールよりツイッターの方が感覚的にピッタリくるようだ。
もう一つは、こちらの方が決定的な理由だが、全画140文字以内という字数制限である。この字数制限を知った瞬間、私には使えないと思った。
物事をきちんと伝えようとすればある程度の字数が必要になる。140字という字数はなんとも微妙だ。待ち合わせ場所やちょっとした連絡とか、日常の出来事を知らせる程度ならそれで十分だろうが、意見や見解を書くには文字数が少ない。つまり言葉足らずになる。結果として相手にうまく伝わらず、誤解を生じやすくもなる。
もちろん、ゆっくり文章を書いている書いている時間がない、緊急性があり、即座に状況を知らせなければならない時、例えば戦場で取材をしているジャーナリスト達が眼下の出来事を生中継的に伝える場合などには重宝するだろう。実際、ツイッターは彼らが多用し、その後の拡大に結果として一役買ったようだ。
短文での言葉のやり取りは誤解を生じやすい。それでも俳句や短歌のように言葉を練って、その字数内に納めるなら別だ。そのためには思考する時間が必要になる。だが、それではツイッターの利点が生かされない。結局、荒削りの言葉をいきなり投げる人が増えてくる。そうなればまさにツイート(さえずり)だ。
ちょっとした言葉の行き違いから最初は2、3羽のさえずりが雀の群れのさえずりのように大きく、うるさくなっていく可能性が大いにある。そう考えた当初の危惧はその後現実になっていった。いわゆる「炎上」だ。最初に投稿したツイートも、それに群がるツイートも冷静な思考をなくし、面白がってさえずっていく傾向にある。
次にフェイスブック。「いちいちコメントを書かなくてもいいんですよ。“いいね”マークを押すだけでいいんですから」。ある人がそう言ってフェイスブックの利用を勧めてくれた。それを聞いた時、「えっ、それって何」と感じた。参加意識、仲間意識? それとも「うなづき」による同質化の促進?
いくらなんでもそれは考えすぎ、と言われそうだが、いずれにしろ私には合わないと感じた。ただ「友達」を増やすことにもフォロワー(追従者)を増やすことにも興味はない。
(2)に続く
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