お笑い芸人の母の生活保護受給問題が各方面に思わぬ広がりをみせている。懸念されるのは本来の趣旨とは逆の方向に議論が向かいつつあることだ。それにしても民主党政権は当初の期待を裏切り、なぜこれほどにまで逆に進むのだろうか。
今回の問題をもう一度整理してみよう。
1.発端は当の芸人自らが吹聴
年収が数千万円あるお笑い芸人が実母に生活保護を受給させていると週刊誌で指摘され、その後国会でこの問題が取り上げられた。
週刊誌が取り上げたのは当の芸人本人がTV番組等で自身の収入や1晩で100万円も使う豪遊ぶりを自慢したり吹聴していたが、その中に母親に生活保護を受給させていることも仲間内で公言していたことが発端。「貰えるものは貰っとかな」などと貰うことを正当化、他の芸人にも勧めるような発言すらあったという話もネットでは言われていたから、それが事実なら「認識の甘さ」という程度の問題ではないだろう。
2.当の芸人の説明会見が遅れた
本人は殊勝に会見を開き(5月25日)、母親受給分を今後返済したいと表明したが、問題が明らかになってから会見するまでの期間が約1か月と長かった。
3.生活保護費の支給水準引き下げ議論
5月25日、今回の問題をきっかけに生活保護費の支給水準引き下げを検討していると小宮山洋子厚生労働相が答弁。
今回の件で明らかになったのは生活保護受給者のもう一つの実態だ。
以前から、生活保護費受給の闇の面(働くより生活保護費を貰った方が楽だから、働こうとしない人達、貧困ビジネスに協力させられている人達、不正受給者達)は取り沙汰されていたが、今回の件以来表に出て来たのは生活保護を財テクに利用している人達がいるということだ。
前出の芸人の後で、自分の母親も生活保護を受けていると会見で明らかにした芸人の場合は、母親を分譲マンションに住まわせているが、その分譲マンション名義を自分にしているため、分譲マンションは母親の財産と認められず、生活保護費を受給できている。
こういう方法は誰かの入れ知恵なしにできるとはとても思えないが、明らかに財テク目的に違いない。
このような問題を明らかにしたという意味で今回の1件は役立ったようだ。
その一方で、同じ芸人仲間達から開き直りとも思える弁護発言(「法律違反をしているわけじゃない」等)が相次いでおり、最近社会に蔓延しているこの種の風潮の方が危険だ。
こうした風潮が社会に蔓延しだしたのは、米国流の金融資本主義が日本でも幅をきかせ出した頃以降。その象徴がライブドアや村上ファンド事件で知られる2006年だろう。「金を儲けることがそんなに悪いことですか」という発言がよく表しているように、金儲けのためには手段を選ばずという風潮が広がりだしたのもこの頃からで、今回の生活保護費受給問題もそうした流れの延長線上にある。
小宮山厚労相の発言には、さらに政府の税収問題が加わっており、生活保護の本来の目的、議論を大きく逸らす、ミスリードする可能性が高く、さらに問題である。
生活保護受給問題は2つある。1つは社会のセーフティネットとしての役割であり、もう1つは不正受給、あるいはそれに近い問題受給である。
問題を考える場合、重要なのは何が主要な問題であり、なにが副次的な問題かをきちんと把握することである。
上記2つの内、どちらが主要な問題かと言えば前者のセーフティネットとしての役割であり、問題受給はあくまでも副次的である。にもかかわらず、小宮山厚労相の発言で、問題受給の方がさも主要な問題であるかのような方向に進みつつあるのは注意しなければならない。
生活保護受給者が過去最多(今年2月時点で209万人)になっているが、その背景に不況があるのは若者の受給者が増えていることからも明らかであり、経済の好転こそが最善の方法だ。
税収減の問題から問題受給規制の方に目が向きがちなのは分かるが、思い起こして欲しい、昨年まで生活保護の問題点は審査の厳格化だったことを。その結果、餓死者が相次いだことが社会問題になったことを。
卑近な例だが、今年1月3日松山からケータイに電話があった。学生の頃、交友があった人の娘さんからで、父親の状況を知らせてくれたのだった。入院しており、発する言葉も娘ですら分からない状態になっているとのことだった。ここ1、2年の年賀状には手術するかどうか決断しなければならない、娘とは毎日が闘争だ、と書かれていた。離婚をし、子供を抱え、昼夜働き、なおかつ父親の病気のこともあり、彼女も疲れて毎日イライラしているのだと思った。そういうことを聞いていたので、電話があった時、思い切って進言してみた。「生活保護の申請をしたらどうか」と。父親の入院が機になったのだろう、現在貰っているとの返事だった。
「親族の扶養義務」と小宮山厚労相はいうが、厳格に適用すれば昨年全国で相次いだ餓死者が今後も相次ぐことにもなる。
「個人ではなく、社会で面倒を見る」。当初、民主党政権が打ち出したこの方針を、財源不足を理由に今次々と変更しつつあるが、それでは政権交代の意味もない。
社会構造が変化し、作られた当初の制度が実態にそぐわなくなることはままある。実態に即して改革すべきなのは言うまでもないが、大事なのは制度の理念をきちんと守ることだ。今回の場合で言えば、社会のセーフティネットとしての役割はより拡充すべきで、そこを縮小しようとするなら本末転倒だろう。
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