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地球温暖化防止こそが焦眉の問題(1)
〜環境破壊で未知のウイルスが


栗野的視点(No.696)                     2020年7月10日
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地球温暖化防止こそが焦眉の問題
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 つくづく自然は冷たく、不平等だと思う。昔、自然は平等だと考えていた。金持ちにも貧乏人にも雪は等しく降り、銀世界に染めるのは同じだと無邪気に思っていた。だが、それは間違いだったと気付いた。自然は平等主義でも慈悲深くもなく、むしろその反対だった。

飽くなき開発が災厄を生む

 例えば今回、南部九州に始まり、九州全域を襲った水害は平等ではなかった。被災したのは金持ちより中流階層以下へのダメージの方が大きい。
 鹿児島でも西郷隆盛など下層武士は河川敷かそれに近い土地を開墾して住み着いたことが知られているように、川に近い土地に住むのは低所得者か、新たにその土地に移り住んできた新住民が多い。
 近年でこそ「ウオーターフロント」と言われ持てはやされているが、ウォータフロントとは日本語に直せば水辺、海岸近くの陸地のことだ。
 都市の膨張・拡大に応じて「水辺」を開発し、そこに臨海都市を建設する動きが加速したのは80年代。そこに都市機能を充実させ、住宅地も建設して行ったのだから、水の危険性は当初からあった。津波が来れば直接的な被害を受けるのは当初から分かり切っており、本来、住宅地の建設には不適格だが、当時はそんなことを考える人はごく少数だっただろう。
 ウォータフロント、水辺が危険と再認識したのは東北大震災とそれに続く大津波と、ここ数年、毎年のように全国各地で起きている豪雨による大水害によってだろう。

 最近でこそ「線状降水帯」という言葉をよく耳にするようになったが、10年近く前までは見聞きした記憶がない。つまり、この気象用語は最近使われ出したものということだ。
 この30年ほどの間に日本列島の気象状況は明らかに変わってきている。例えば新幹線が博多まで開通した1975年前後頃は大相撲九州場所が始まると必ず雪が降った。それが今では雪が降るどころか、観客席では扇子や団扇で扇ぐ姿がごく普通に見られる。それぐらい暖かくなっている。
 もちろん、その間に福岡市の都市機能が増し、人口が増えたことによる都市の気温が上昇したということもあるだろうが、こうした現象は福岡だけに限ることではないので、やはり日本列島全体の温暖化が進んでいるというしかない。

 温暖化の影響と思われる現象は世界各地で起きており、冬の豪雪、夏の猛暑と水害が特徴的で、海水面が上がり水没の危機に直面しているのはツバルやキリバスだけでなく、水の都として知られるベネチア(英語でベニス)も同じだ。
 毎年のように日本各地で起こる大水害に対する対策はもちろんだが、目先の対策だけではなくもっと根本的なところで手を打つ必要がある。人類の未来のために。

環境破壊で未知のウイルスが

 今、世界のあちこちで起きていることは、人類が環境問題に真剣に取り組んでこなかったツケが回ってきていると言っていいだろう。COVID-19の世界的流行にしてもそうだ。本来、森や洞窟の奥にひっそりと潜んでいたコウモリなどの宿主が棲んでいた場所を、人類が開発という名の下に侵略し、彼らの棲む場所を奪ったため、彼らは否応なく人の近くに出没せざるをえなくなった。

 それは鹿や狸、猪、熊にしても同じで、人と彼らとの間に存在した緩衝地帯とも言える境界がなくなったことが原因だ。棲み処を奪われた動物達は食料を求めて人間界に近づいて来ざるを得ない。彼らを宿主としてきたウイルスも当然、人間界の近くに現れることになるし、本来の宿主が減少してきたため彼らは新たな宿主を求めざるをえなくなる。

 かくしてウイルスは生存のために人類を新たな宿主にしだしたわけで、仮にSARS-CoV-2(新型コロナウイルス)の封じ込めに成功したとしても、それに代わる新たなウイルスがまた現れるだろう。
 本来、「ウイルスとの共存」と言うなら、ウイルスに本来の宿主を残してやり、人間界との境界を守らせる以外にない。
                                    (2)に続く

 


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