では、これらすべてが揃っていれば売れるのか。
基本的には売れるはずだ。
なぜ、「売れる」ではなく、「売れるはず」なのか。
ここでもう一度、冒頭の疑問に戻ろう。
「本当によいモノを作っていれば認められる」のだろうか。
この命題が成り立つにはある前提が必要になってくる。
そう、「認めてくれる」人がいるということが前提なのだ。
この前提=「認めてくれる人」がいなければ、いくらよいモノを作っても売れない、ということは分かるだろう。
例えばこんな話がある。
学生が就職先企業を決める際、決定的な役割を果たしているのは母親だという。
父親ではなく母親なのだ。
まあ、大学の入学式に参列したり、会社の入社式にさえ参列したがる母親がいる時代だから、子供の就職先決定に口を出すぐらいは当たり前のことだろう。
そのこと自体おかしな話ではない。昔から親は子の相談に乗っていたわけだから。
ただ、相談相手が父親ではなく母親に代わってきたのだ。
そのことが重要な変化を引き起こしている。
社会的認知度が重要な問題になってきたのだ。
「我、社名を知っている故にその企業あり、我、知らざる故にその企業なし」
デカルト風に言えばこんな現象が強まっている。
つまり、母親は自分が見聞きした企業を存在していると思い、そうでない企業は彼女にとって存在していないのと同じなのだ。
当然、子供の就職先に関してもこの論理を当てはめるから、自分が知っている企業の方を勧めることになる。
例えば自分が乗っている車のメーカーと、エンジンを作っているメーカーでは、後者がどんなに技術力が高く、業界では有名な企業でも、母親がそのメーカーの社名すら聞いたことがなければ、彼女は自分がよく知っている前者のメーカーを躊躇なく勧める。
こうしたことがあらゆる分野で起こっているのだ。
大手企業はそのことが分かっているから、近年、企業の認知度を上げることに力を割いている。
以前なら、「取引先は決まっているから広告宣伝は必要ない」と言っていた企業でさえ、最近はTVコマーシャルを流すようになったのはこうしたことが背景にある。
系列に守られて仕事ができる時代でなくなったことも大きい。
さらに国際競争力にもさらされている。
常に優秀な人材を確保し続けなければ、自社の技術力のアップは望めない。
技術力をアップしなければ製品は売れない。
そのためにも企業の社会的認知度を上げる必要があると彼ら大手企業は理解しているからだ。
(続く)
|