それにしても親が大学の入学式に出席し出したのは一体いつ頃からだろうか。
60年代後半の東大紛争の最中、学生達にキャラメルを配って歩いた母親がいたという話がある。同じ頃、地方の学生だった私はその話を耳にして、作り話だろうと思った記憶がある。親が大学の入学式に来るということ自体考えられなかった。ましてや小さな子供をあやすようにキャラメルを配って歩くなどは論外だ。
「○○ちゃん、デモのような危ないことはしないで。キャラメルをあげるから、ママの言うことを聞いておとなしくしてちょうだい」
そんな光景を考えるだけでもおぞましかったし、まさか日本を代表する優秀な頭脳が集まっているはずの東大でそんなことが現実に行われるはずがないと思ったものだ。
しかし、思い返せばすでに当時から東大生は過保護だったのかもしれない。
バリケード封鎖された東大キャンパスに次のような落書きがあった。
「とめて下さいお母さん
背中の銀杏も笑っている
女々しき東大
どこへも行けない」
すでにこの頃から東大生は母親の保護下にあり、自立できていなかったのだろう。夏目漱石の「門」に出てくる主人公よろしく、門の中に入ることも、そこから立ち去ることもできず、自分では「どこへも行けない」から、「お母さん」に「とめて下さい」とお願いするしかなかったのだ。
当時の学生ももう50代後半〜60歳。立派な親になっている。いや、年齢だけは親になっているが、果たして「立派な親」になったかどうか。
トンビがタカを生む例えもあるが、一般的には蛙の子は蛙になる。過保護で育っただけに自分の子にも過保護にちがいない。だから大学の入学式にも出席したくなる。少し離れて見守るということができないのだ。
この世代のもう一つの特徴は、親子関係を縦の関係ではなく、兄弟姉妹のような横の関係にしたがったことだ。
注意して欲しいのは、したのではなく、「したがった」ということである。つまり本当に横の関係にしたのではなく、仲のいい兄弟姉妹の関係に「見えることを喜んだ」ということだ。
この世代より少し年齢は下がるが、20歳前の娘を持つ母親からこんな話を聞いたことがある。
夜中の2時過ぎに娘の部屋から人の話し声が聞こえてきた。誰か来ているのかと思い、玄関を見に行くと男物の靴があったので、娘に携帯メールを送って「誰か来ているの」と聞いたというのだ。「○○君が来ている」というメールが娘から返ってきた。
問題は次の母親の態度だ。
「もう遅いから早く寝なさい。明日学校に遅れるよ」とメールで打ち返して寝たというのだからあきれる。
「大丈夫よ。娘を信じているから」
彼女はそう言った。
「信じている」というのはこういう時に使う言葉ではないはず。それは無干渉、無関心ということである。
10数年間、若い女性を自宅2階に監禁していた事件があった。
犯人の母親は「気付かなかった」と言った。果たしてそうだろうかと思う。
「信じているから」というひと言で、深夜、娘の部屋に若い男が来ている現実に目をつむったり、息子の部屋に若い女性がいる現実に何年も目を背けてきただけではないのか。
前者は物わかりのいい親でありたいと思うが故の無干渉、後者は子供を恐れるが故に無干渉・無関心の態度を貫いている。
共通しているのは子供の望むものを与えるだけで、直接対峙するのを避けている愛情のはき違えである。
かつて団塊の世代は問題から逃げることなく、きちんと見つめ、対峙してきたはずである。
それが一体いつ頃から逃げるようになったのだろう。
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