次は最初のミスをフォローできなかった例。
神戸からやってきた弟が熊本・黒川温泉に行きたいというので、それなら黒川の隣に田の原温泉というのがあり、そこにもう一度行ってみたい旅館があるから行ってみようということになった。
R憩園というこぢんまりとした旅館で、初めて行ったのは10数年前。
その時の印象があまりにも強烈だったので、機会があればもう一度行って確かめてみたいと思っていたのだ。
黒川と違って田の原は「ひなびた温泉地」。インターネット接続設備はもちろんのこと携帯電話の電波さえ不安定な場所で、宿泊したのは料金はリーズナブルだが、その代わり室内に浴室もなく、風呂は露天風呂だけという「何もない」旅館。
だが、何もないことは必ずしもマイナスとは限らず、それを逆手に取れば魅力にもなる。
例えば露天風呂に入るのに20m近くも坂道を歩いていかなければならず、当日は雨だったので傘を差し、下駄を履いて滑りそうな山道を降りていくわけだから、年配者にはちょっと厳しいかもしれない。
ただ、ぜいたくに慣れた現代人にとっては、こうした露天風呂こそ野趣溢れていると映るだろうし、何もない施設こそ「ぜいたく」と好まれる要素はある。
しかし、人々がひなびた温泉地の、こぢんまりとした宿に惹かれるのは、女将の細やかな心遣いと人情がありそうだからで、それがなければすべてはマイナスでしかない。
さて、件(くだん)の旅館である。
初めて行った時の強烈な印象とは何だったのか。
いままでいろんなところに泊まったが、女将の愛想とサービスの悪さはナンバー1だった。これでは期待できないだろうと思っていた料理が意外にもよかったので、料理には感動したものだ。
これがどう変わったのか、変わってないのかを確かめたかったのだから、こちらも物好きといえば物好きだ。
結果は前回以上にガッカリ。
当日予約電話をして行ったのに、「予約されましたか」「いつ、予約されました」という言葉を3度も聞かなければならなかった。
女将の態度は無愛想さを通り越して失礼の域に入っていた。
自分達の連絡ミスを疑うのではなく、客を先に疑うというサービス業にあるまじき態度。結局、「済みません、ありました」のひと言で、きちんと自らの非を詫びることもなく、部屋へ案内。設備の説明を一通り早口で捲し立てて部屋を出て行ったが、その間に「朝食は朝8時からですが、特別に案内はしませんから」という言葉を3度も口にした。
説明が早口になったのはばつが悪かったからに違いない。それなら最初のミスに気付いた段階できちんと謝れば済んだことだが、それをやらないから後の動作がぎこちなくなる。
ミスは誰にでもあるし、いつでも起こりうる。
要は後のフォローをどうするかだけだ。
これをきちんとやらないと2次クレームが起こるし、客離れを招く。
サービスは別に難しいことではない。
笑顔を見せるだけでいいのだ。
それだけで客は旅の疲れが癒され、来てよかったと思う。
「お疲れになりましたでしょう」という言葉を添えれば、客の疲れは軽くなる。
それで済むのに、それをしない。
こうしたことはなにもサービス業に限ったことではない。
他の業種でもよく見かける。
ある会社の社長が言っていた。
「うちの工場に来た人は誰であれすべてお客様。『いらっしゃいませ』と挨拶するのは当たり前」と。
そうなのだ。社員以外は皆お客様、と思っていたら、ある量販店の店長から「店内で擦れ違う人は皆お客様。うちの社員でも私服の時は客として買い物に来ているかもしれないから挨拶するのは当たり前」と聞かされた。こういう人がいる店や会社は流行らないはずがない。
上記の例で言うなら、仮に客の予約ミスであったとしても、部屋の空きがあるかどうかを素早く確認して、客をまず部屋に案内するべきだ。そのほかのこと、内部の連絡ミスかどうかなどは後で確認し、自分達のミスであれば素直に謝ることだ。
それを自分達のことだけ考えるから客に不快な印象を与えることになる。
ところで、前回感動した料理はどうだったのか。
料金以上でも以下でもなかった。
思い返してみれば前回感動したのは無愛想とサービスの悪さに、これでは料理も期待できないだろう、と思っていたところに、思わず次々と料理が運ばれてきたから、そのギャップに感動しただけだったようだ。
さて、終わりよければすべてよし、となったか。
女将が翌朝見送りの際に、「昨日はこちらの不手際でお客様に不快な思いをさせ申し訳ございませんでした。これはお詫びといっては何ですが・・・」と、ちょっとしたお土産品でも渡して謝れば「終わりよし」となったはずだが、結局姿も見せなかった。最後までミスのフォローができない女将って一体何だ。
以上2つの実例を紹介した。共通しているのはクレームになったことだが、前者は失敗をその後の素早いフォローで取り返したが、後者はクレームの処理を誤ったばかりか、最後までフォローができなかった。どちらがビジネスとして成功するかは言わなくても分かるだろう。
ビジネスに限らずすべては最初と最後が肝心。上記の例を他山の石として欲しい。
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