一度は諦めた四軸織物に再チャレンジ
だが、道のりは平坦ではなかった。
「よし、もう一度チャレンジするぞ」
ベルトスリングの売り上げが軌道に乗り出した87年、社長就任間もない通弘氏は社内にそう宣言した。一度開発に失敗していた四軸織物にもう一度チャレンジしようというわけだ。
同社が四軸織物に初めてチャレンジしたのはいまから30年前。手編みの籐イスを見て「これを機械で織れば儲かるだろうなと思った」のがきっかけだった。
機械織りは縦糸と横糸の2軸で構成されているが、籐イスは縦横に加えて斜め方向に2本編み込む4軸構成になっていた。もし、それを機械化できれば、当時1u120円前後の機械編み工賃を手編みと同じ1400円にアップできる上に量産化で「儲かる」と思ったわけだ。だが、それ以上に氏を駆り立てたのは新しい技術に挑戦したいという技術者魂、チャレンジ精神だったに違いない。
翌日から早速、四軸織機の開発に取りかかったものの、そう簡単にはいかなかった。それでも半年後には「原理原則は分かった」。しかし、その機械で籐を編むことはできなかった。「籐のような扁平なものは捻れるのでうまく織れなかった」のだ。
そうこうしているうちに、ほぼ同時期に開始したベルトスリングの開発に見通しがつきだした。もともと余力があって始めたわけではないから、すでに需要があるベルトスリングに注力することにし、4軸織りの開発はひとまず置くことに。
一方、「ロックスリング」の自社ブランド名で売り出したベルトスリングは九州地区から火が付き、着実に売り上げを伸ばしつつあった。
当初は技術的なことで現場に呼び出されることも多かったが、そんな時嫌な顔一つせず現場に出かけてユーザーの要望をよく聞き、帰っては改良を加える、そんな繰り返しだった。その結果、製品のラインナップも増え、「明大は小回りがきく、納期が早い」という評判が広まり、それがまた売り上げアップに繋がった。
「明日いると言われたら、徹夜してでも届けていた。それができたのも1階で生産し、3階で裁断縫製、2階で検査、箱詰めして出荷するという自社一貫体制だったから。急ぐ場合は織機を入れ替えて作る。そういう小回りが社内でできたことが大きい」
と小河原社長。
さて一度は開発を諦めた四軸織機だが、ベルトスリングが軌道に乗り経営が安定しだすと、再びチャレンジ精神が頭を持ち上げてきた。
「もう一度チャレンジしたい」
通弘社長はある日、67年から2人3脚で歩んできた弟の一正専務にそう切り出した。
「やろうじゃないか。オンリーワンを目指そう」
「これが完成すれば破れないテントができるぞ」
こうして再び四軸織機の開発に乗り出した。ただし今度は籐ではなく化学繊維を織ることだった。
しかし、新製品開発の道のりは平坦ではなかった。
研究に次ぐ研究を重ね、既存の機械に様々な工夫を加え、改造に次ぐ改造を行うなど、すべてが手探り。その間にダメにした機械は数え切れなかった。
成果が出ないまま10年が経過した。研究費もかさみ、本業への影響も懸念されだすと、さすがに強気の通弘社長もこれ以上は諦めざるを得ないと判断。断腸の思いで98年頭に社員の前で開発断念を宣言。
ところがその直後に状況が一変した。米国の織物会社、バリーリボンミルズ社からスペースシャトルの補強に四軸織物を使いたいという申し出があったのだ。結局、この時は試作機を3,000万円で売却することで合意したが、これがきっかけで同社と技術提携。このことが四軸織物の開発に向けた研究を大きくバックアップしたのは間違いないだろう。
耐震補強材から航空宇宙、
自動車産業まで用途は拡大
それから5年後の03年、四軸織物「Tetras(テトラス)」の量産化に成功。最初に四軸織物に着目したのは大手スポーツメーカーだった。その年の10月、テニスラケットに、翌年にはマミヤ・オーピー株式会社がゴルフクラブのシャフトに「テトラス」を採用している。
マミヤ・オーピーはゴルフクラブのシャフトに「テトラス」を巻くことで、シャフトのねじれ、曲げに均一な強度が与えられ、飛びと方向が安定するとしている。このほかにもパイオニアがカーオーディオのスピーカーに、住友林業は建築用木材の耐震補強に「テトラス」を使用するなど用途が急速に広がりつつある。
さらに07年5月から広島大学、電気電子制御板製造の田中電気工業(広島市)と共同で新広島球場(09年春完成予定)の開閉式ドームの屋根に「テトラス」を使う研究を行っている。
「テトラス」を使ったテントでドームを覆えば軽量化とコスト削減が可能で、しかも従来のテントに比べ「テトラス」は裂けにくいから風が吹いても自由に開閉できるのが特長。
四軸織物はカーボン繊維、アラミド繊維、ガラス繊維などの高機能繊維を使った織物が可能なだけでなく、カーボンとナイロンを一緒に織るなどの異なる素材を組み合わせた織物も可能。用途もアパレル、スポーツ・レジャー分野はもちろん航空宇宙、自動車産業、さらには護身用服などにも可能性が広がっている。
「今後はもっと目が細かい四軸織物を作れる機械を開発していく」と小河原社長。
今後が楽しみな企業である。
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(文責・ジャーナリスト栗野 良)
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