暑い夏がやって来たーー。広島放送局は過去を、過去の記憶を歴史の中に封じ込めて風化させないために、今年も力作を制作・報道した。
高校生が被爆者の記憶に刻まれた光景を描く「原爆の絵」を題材にした「ふたりのキャンパス」(中国地方8/1、全国8/5放送)。広島放送局は常に実際にあった出来事を題材にドラマを作っており、これも広島市立基町高校美術部の生徒達の活動がモデルになっている。
詳細は番組を観て戴くとして、私の記憶に残ったのは近藤正臣扮する遠藤老人の言葉。
「語りたくないことがある。同じ体験をした人でないと話しても分からない」(記憶が不確か)というような言葉があった。
早い話、同じ体験をしていないから話しても分からない。だから話さない、話しても仕様がないというか、上辺だけ理解した振りをされても却って虚しくなるだけだから、それならいっそ話さない方がまだましと思ってしまうのだ。
聞いている方にすれば、話してくれなければ分からないじゃないか、というもどかしさがある。
両方の気持ちがはよく分かる。私も似たような体験をしたことがある。学生の頃、在日の友人がいて、よくいろんなことを話したり議論もしたが、その時、何度か彼から言われた。
「日本人のお前には分からない」と。議論の打ち切りである。それを言ったらおしまいだろ、という感じで釈然としないが、共にもどかしさと虚しさを覚え、互いの自室に戻るという経験を何度かした。その記憶が番組を観ながら蘇った。
戦後生まれの私には戦争体験はない。だが、60年代をともに過ごし、同じような経験をしてない人間に、あの時のこと(学園紛争や全共闘運動、街頭デモ等)を話しても分からない、という気持ちは、理解できる。
大変だったんだ、そうなの、と他人事のように言われると(実際、他人事だが)、話した後に覚える砂を噛むような気持ちと自己嫌悪感。
どうせ分かりはしないーー。そんな気持ちがあるから、妻にも弟にも詳しく話したことはない。
「僕って何」を書いてデビューした作家がいたが、体験は直後に書くか、かなり後になって書くかのどちらかだろう。
自分の中に仕舞い込んだものが深ければ深いだけ顕在化させるのにエネルギーと時間が必要になる。
大体30年〜50年。これぐらいになると、もう時効かも、明らかにしてもいいか、と考えるのではないだろうか。外交機密文書でも、これぐらいで一般公開する国が多い。
逆に言えば、事実が明らかになるには30年〜50年かかるということだが、そこまで待たず、心の中に抱え込んだ闇を明かすことなく永久に口を閉ざしたまま逝ってしまった人もいる。
歴史の生き証人として、自分が知っていることを明らかにし、歴史のミツシングリンクを埋めて欲しかったと思うのは、やはり他人事だからだ。当人達が抱えた歴史はそれ以上に重かったということだろう。
戦後70年余りが過ぎ、いまさら新たな証言が掘り起こされるはずはないというのは間違いで、70年も経ったから今なら多少冷静に振り返ることができる、今話しておかなければもう話す機会がやって来ないないかもしれない、心の奥底に仕舞い込んできたけれど、残りの人生を考えると、ここらで誰かに話して重荷を下ろしたい等々、人によりそれぞれ事情は異なるかもしれないが、今まで固く閉ざしてきた口を開きつつある人達もいる。
問い掛かけられた我々は彼らの想いを、真っ正面から受け止めることができるだろうかーー。
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