賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、と言われるが、人間というのはどうも歴史に学ばないようだ。というより、歴史そのものを知らない、あるいは学ぼうとしないのかもしれない。でなければ、このところ次々に起きる愚行の説明がつかない。
例えば大王製紙の井川意高前会長が特別背任容疑で逮捕された件。多くの人達が対岸の火事という風に受け止めているように見えるが、果たしてそれでいいのか。
たまたま今回の場合は100億円という巨額な使い込みだから、自分の所には関係ないという思いが強いのだろうが、金額の多寡を別にすれば実は中小零細企業でも起きることだし、事実そうした例は多いはずだ。
では、なぜ、こうした身内による使い込みが起きるのか。なぜ、それを防げなかったのか。問題はどこにあるのかを考えてみたい。
1.身内の犯罪が圧倒的
会社法によれば、特別背任罪とは取締役など会社の経営に重要な役割を果すものが自分もしくは第三者の利益を図り、または株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、その株式会社に損失を与えた罪と規定されている。
要は経営に関与する者が会社に損害を与えた場合に問われる罪で、罪に問われる者は身内とは限らないが、創業一族が代々経営中枢に位置している場合は大企業、中小企業の別なく身内の使い込みが圧倒的に多い。その最たるものが今回の大王製紙の例なのは言うまでもないが。
大王製紙は上場企業である。それでも会社=創業家、会社の金=自分の金と思っている。財布が一緒なのだ。だから平気で会社に電話して、数百万〜数千万円単位で振り込ませる。どうせ俺の金だからと。
それにしても額が大きすぎた。100億円もの「借り入れ」に誰も気付かなかったのだろうか。
これは別の機会にも書いたことだが、人間は突然巨額の使い込みをするわけではない。その前に少額の使い込みをする。それが見過ごされるから、しばらくしてまた同じことをやる。それも見過ごされると3回目は金額が増える。その次から大胆になり、金額も回数も増える。もう感覚が麻痺してくるのだ。
いかなる犯罪行為も初期段階で気付き、厳しく諫めておけばここまでの事態にはならない。なのに多くの場合、取り返しがつかない大事になってから気付く。
なぜなのか。
1つはチェックシステムができていないことがあげられる。
2つめはシステムがあっても運用ができてないパターンで、大王製紙の場合はこれに当てはまる。
「この会社で井川家に反対できる人は誰もいない」という言葉がそのことを如実に語っている。
3つめは根拠なき安心感。まさか息子が娘が、そんなことをするはずがない、という身内への甘さだ。
これは正確な統計を取ったわけではないが、妻による使い込みは非常に少ないのではないか。恐らく妻の場合は元々他人であり、血縁という見方がなく、どこか警戒心を抱いて見ているところがあるのではないだろうか。こうした緊張感が息子や娘に対してはかなり薄まっているような感じがする。いずれ財産相続をさせるのだからという感覚も影響しているかもしれない。
2.3代目が身上を潰す
3代目が身上を潰す、とは昔からよく言われてきた。そういえば、大王製紙の意高前会長も3代目だ。「世は生まれながらにして将軍である」と豪語したのは徳川3代将軍、家光だが、「将軍」の箇所を「社長」に替えれば、そのまま現代でも通用する。
なぜ、3代目が身上を潰すのか。はっきり言ってしまえば、金のありがたみを知らないからだ。2代目は親の苦労を間近に見て育っているし、子供の頃、自らを取り巻く環境も厳しいものだった。ところが3代目ともなると不足のない生活を送っている。子供の頃から欲しい物はなんでも与えられてきているし、物心付いた頃には「いずれは後継者」という目で周囲から見られ、本人もなんとなくそういう気持ちでいる。
この「なんとなく」という気持ちが曲者で、本人の逃げ場になるし、親もそれを認めている。いざとなれば帰ってくればいいんだから、と。本人のこの気持ちと、親のこの思いが、徹底的なチャレンジを妨げているのだが、両者ともにそこを突き詰めようとはしない。
水が低きに流れ、人が易きに動くのは当然だろう。だが、堰き止められれば他の道を探すしかなくなる。しかし、それをしようとしないところに問題がある。
(2)に続く
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