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文明が滅びる時(1)


 「我々はどこへ行くのか」「時代は進んでいるのか、後退しているのか」−−。
私は近年そのことを考え続けてきた。人類の未来は明るいのか、それとも暗いのか。技術革新は我々に明るい未来を約束し、それを実現してきたのか、と。

時代は前に進んでいるのか

 未来は過去の歴史を見れば分かる(過去の歴史から未来が推察される)と言われるように、過去を振り返ることで、かなりの部分推察できる。
 当時、私が得た結論は「時代は一直線ではなく、らせん形に進む」ということだった。時には前に大きく進んでいるかと思えば、次には後退しているようにしか見えない。前進と後退を繰り返しながら、それでも少しずつ進化している(と見られた)時代を「らせん形の前進」と捉えたのだ。

 だが、それは間違いだったのではないかと最近、考えている。文明は人類に明るい未来をもたらしたのではなく、むしろ逆ではないのかと。
 過去の歴史を見るまでもなく現代社会を見渡すだけで、文明が我々にもたらしたのは明るい希望より暗い現実だったというのは時代をつぶさに見れば分かるだろう。
 人類が月に降り立ち、掌に小さなコンピューターを手に入れ、技術革新が人類に幸せをもたらし、我々は物質的にも精神的にも豊かな生活を享受しているはずだった。
 しかし、現実はどうか。限られたごく一部の人は物質的に豊かになったかも知れないが、大多数の人は逆の環境に喘いでいる。
 大きな戦争は1940年代半ばで表向きには終わったが、代わりに世界の到る所で行われ、テロ活動はより活発かつ過激になり、土地を追われた人々が地球上に溢れているではないか。

インターナショナルからネーションへ

 インターナショナル(international)という言葉の代わりにグローバル(global)という言葉が流行り、人々は国際的な視野を持ち、世界的に活動しているような錯覚に陥っているが、実のところ文字通りのglobe(地球)を動いているだけに過ぎない。
 代わりに台頭してきたのがネーション(nation、民族)とナショナリズム、そして宗教・セクト(宗派)である。平和と知の象徴であるハトとフクロウはすっかり影を潜め、タカと蛇が幅を利かせ、虎視眈々と他人の懐ばかりを狙っている。
 いまや平和は戦争と貧困に取って代わられ、戦争は終わるどころか世界各地で拡大する傾向さえ見せている。
 世界は一度手に入れかけたインターナショナルの概念を手放し、ネーションが幅を利かせ、それに呼応するように政治家達は自国利益第一主義へと大きく舵を切っている。そう、トランプ米大統領を挙げるまでもなく、誰も彼もが自国利益第一のエゴイズムを恥ずかしげもなく露骨に露わし、支持者層にすり寄るポピュリズム政治を行っている。

 もちろん日本とて無縁ではない。とっくにそうなっている政治家は論外として、島国から外に出る機会が少ないこの国の人々は多角的な視点をあまり持ち合わせていないようだ。
 例えばここ数日最も注目を集めていたテニスの国際試合。大坂なおみ選手が勝てば「日本人初」と声を大にして騒ぎ、なんでもかでも「日本人初」と連呼したがるメディア。無理やり彼女を「日本人化」しようとし、優勝インタビューでも「日本語で一言!」と記者たちが迫る姿には「ニッポンっていいな〜」というTV番組と同じものを感じてしまう。個人を認めるのではなく、「日本人」としての大坂なおみ選手を称賛しているのだ。
 こうした記者の質問に対し大坂なおみ選手が発したのは「英語で話させてください」という言葉。思えば、それ以前にも彼女は「私は私だから」と言っていた。

違いを認めない日本人

 昔、海外生活が長かった女性と付き合ったことがある。年が離れていたこともあるが価値観や思考が違い衝突することもよくあったが、そんな時の彼女の言葉はとてもストレートできつかった。ある時、彼女はこう言っていた。「私は英語が先に頭に浮かんでくる。それを日本語に訳して話しているから私の日本語、変でしょ」と。

 大阪選手も同じで優勝した時の素直な気持ちを話そうとすれば英語で浮かんでくるはず。それを「日本語で一言」と迫る記者は彼女に対し無意識かもしれないが「日本人化」を求め、日本への「同化」を求めているわけだ。

 違いを認めない日本人は他国に違いを求める。ただ、その場合の違いは自分達の方が優位に立てる違い。今の日本が捨て去ってきた昔を懐かしむ姿を見出す違いである。
 その一例がブータンの若き国王夫妻が来日した時だ。「幸せの国」と多くのメディアがことさらに彼の国を持ち上げた。物質的には遅れているが精神的生活の充足感があると。この言葉には相手への哀れみと自分達の優位性が裏に隠されている。そう、都会の人間が田舎を見る時と同じ感情なのだ。
 だが、「幸せの国」と持ち上げられたブータンでも首都では貧富の差が拡大している。首都ではスマートホンを使う人間も増えているという。改革開放政策で貧富の差が拡大した中国のように。

 こう見てくると、時代は一直線に進んでいないことだけはたしかだと納得するに違いない。では、らせん形ではあっても進化しているのか、そうではないのか。いや、もっとはっきり言えば、現代文明は(ということは人類は)滅亡への道を辿っているのか否か。

                                                (2)に続く

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