前号で「栗野的視点(No.664):地名のいわれ、古い地番の確認が防災に役立つ」と題して、私の実家の地名になぜ「サンズイ」が付く文字が当てられたのかという話を書きましたが、長崎大学名誉教授・後藤恵之輔氏から表題のメールが届きました。
内容は「平成27年度自然災害科学協議会西部地区部会研究発表会」での講演内容で非常に興味深いものなので一部を引用してお届けしたいと思います。
「サンズイ」が付く文字は水と関係しているというのは私の実家の地名に関係して述べた通りですが、後藤教授の論文で興味を持ったのは「植物地名」も災害と無関係ではないと知らされたことです。
以下に引用します。
<植物地名の誕生>
災害に関係(崩壊、埋没、傾斜地、湿地、水流など)する地名については、由来を嫌って、元々の読みに佳字・好字を当てて新しい地名としていることが多見される。
その佳字・好字に植物名は多い。例えば、埋め(る)→ウメ→梅、欠き→カキ→柿、狭(い)谷→サ・クラ→桜のごときである。
このようにしていわゆる「植物地名」が生まれる。
いままで梅や桜が付く地名は、この辺りは昔、梅園だったのかも、桜の木が多く植えられていたからか、などと単純に考えていましたが、そうでもないということです。まさに目から鱗でした。
<福岡市の植物地名>
枇杷橋
語源は「脆弱・端(ヒハ・ハシ)」で、ヒハ・ハシ→ビワバシと転化して、ビワに佳字を当てて「枇杷橋」になったとしている。原義は崩壊しやすい地形の端部である。
梅ケ崎
「埋・ケ・崎(ウメ・ガ・サキ)」を語源として、ウメ・ガ・サキ→ウメガサキで現地名に。原義は湿地帯を埋め立てて造成した陸地の先端部である。
杉ノ下
語源は「坏(ツキ)」、原義は高台で、高台下辺りを呼称した。ツキは高まりの地を言うが、ツキがスギと転じて、ツキ→スギノシタで現地名となった。
蒲田
カム・マ・タ→カママタ→カマタと転じた。語源は「噛ム・間・処(カム・マ・タ)であり、原義は久原川が高地の裾を噛ムようにぶつかる処である。
博多区、中央区、早良区
博多区にも東区と同様に、植物地名は多い。竹若町、萱ノ堂、吉塚、竹下、立花寺、麦野など。
中央区には小笹、茶園谷が、早良区には藤崎、椎原が認められる。
萱ノ堂
語源は「覆(カヤ)ル」で、流水が逆転する処とする。カヤ(ル)→カヤノドウと転化して現地名がある。
立花寺
原義は立ち上がったような急傾斜の地形で、「立ツ・処(タツ・カ)」。タツカの語音に立花を当ててリウゲと呼んだ。タツ・カ→リウゲ→リュウゲジと転化。
麦野
「剥キ・野(ムキノ)」を語源として、高地が川水に洗われて剥き出しに見える地形である。この辺りは御笠川の氾濫原だったのではないかと推論。
以上は池田善朗著『地形から読む 筑前の古地名・小字』(石風社)からとのこと。
いや〜驚きましたね。上記の地名は福岡市以外の方には少しピンと来ない(土地勘がないという意味で)でしょうが、似たような地名は各人がお住みの地域にもあるかもしれませんから見回してみてください。
以下、後藤論文からの引用です。
人間の生活は土地無しでは考えられず、生活を送る必要上から人々はその土地に地名を付けてきた。地名は自然的地名と人為的地名とに分けられる。
前者は土地の特徴である地形・地物やその地に棲む動物、植物などから付けられる。後者では信仰、土地利用、人々の移住(地名の移動)、土地の分合(分割地名、合併地名)などが由来する。
自然災害の発生を考える上からは、素因となる土地のあり方に関係して、自然的地名および土地利用からの地名が重要である。また、地名の移動や分割地名・合併地名などは、災害の誘因として関係する。
地名変更は過去数度にわたり行われてきたようで、その度に生活に根差した元々の語源から付けられていた地名が失われ、ほかのきれいな言葉に変えられてきたことが分かりますね。最も新しいのは区画整理による改変でしょうか。
「近年、地球温暖化の進行やエルニーニョ現象の発生などにより、異常気象が頻発する傾向にある。この結果、自然災害新時代」が到来しているが、「防災および減災のためには、自然観の涵養と並んで旧地名を取り戻すことも重要である」
まさにその通りですね。土地の成り立ちを知っていれば、避難する場所や方向を事前に考える際に役立ちますからね。
以上、後藤恵之輔長崎大名誉教授から届いた講演内容から一部を引用し紹介しました。
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