車は本当に生活の足か
地方では「車は生活の足(必需品)」だから手放せない、と主張する一方で、運動能力・判断力の衰えから車の運転を心配する声もある。
私自身の経験から言っても、地方で車なしの生活はかなり不自由を強いられる。卑近な話で申し訳ないが、先月、田舎に帰省中、高校のクラス会をすることになった。会場はかつて通った高校近くの居酒屋(湯郷温泉)。
車なら20分くらいの距離だが、車なしで行こうとすると、それこそ「足がない」のだ。当初、列車かバスで行けばいいやと軽く考えていたが、これが大間違い。列車はあるにはあるが、最寄駅で尋ねると温泉地までのバスが、その日は運航してないとのこと。どうやらゴールデンウィーク中(休日)はバスの運行がないらしい。
それならコミュニティーバスと思ったが、市内一円を動く路線はなく、市内を小さなエリアごとに区切り、そのエリア内を循環するルートがいくつかあるだけだった。というわけで同じ市内にもかかわらず、地域をまたいで運行してないのでコミュニティーバスでも行くことができないと分かった。
仕方なく駅前に居たタクシーの運転手に尋ねると、自宅ー会場の運行料金は片道4000円台とのこと。
地元住民で家族に車を運転できる人間がいる人は問題ないが、独り住まいの人間は年齢に関係なく、車なしでは行動がかなり縛られるということを改めて思い知らされた。
だから地方では車を手放せない! というわけでもない。もちろん、あるに越したことはないが、公共交通機関さえあれば多少はなんとかなる。
しかも今後、高齢化は全国で否応なく進む。ここに公共交通機関の使命がある。いまさら言っても仕方ないだろうが、鉄路は維持すべきだ。廃止してしまっては復活できないが、維持していればなんとかなる。
そのためにはかなりの努力が必要になるが、今後のトレンド、ターゲットはほぼあらゆる分野で若者ではなく高齢者になる。なんといっても人口が多く、若者より時間もカネもゆとりがあるのだから、この層を狙わない手はないだろう。
にもかかわらず流通をはじめ様々な分野がいまだに若者ターゲット戦略から抜け出せていない。つまり旧モデルのままなのだ。
さて公共交通機関の一翼を担う鉄道はその使命にどう応えていくのか。その一方で収益も上げなければいけない。この二律背反的な課題に地方路線はどう対応していくのか。難しい課題である。
ただ智頭急行は設立の経緯からして他の第セクター路線とは少し違うし、多少恵まれた環境にあるともいえる。
以下、智頭急行の取り組みを見ていこう。
珍しい、黒字の第3セクター鉄道
さて、智頭急行である。前回、冒頭で設立の経緯が他の第3セクター鉄道(以下、第3セクター)と違うと書いたが、智頭急行株式会社の設立は昭和61年5月31日で、智頭線が完成・開業したのは9年後の平成6年(1994年)12月である。
もう読者はお分かりだと思うが、既存鉄路を国鉄・JR各社から引き継ぎ、運営したわけではないのだ。
同社の設立に至る経緯は少しややこしく、智頭(鳥取県)〜上郡(兵庫県)間を智頭線として敷設工事計画が認可されたのが1966年5月。翌月には工事着手しているから、本来ならとっくに智頭線は完成していたはずだが、そうならなかったのは国鉄の経営赤字の影響を諸に受けたからである。
1980年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が成立し、4000人/日の乗降客が見込めない路線は予算執行凍結を決定。智頭線の1日当たりの乗降客数見込みは3900人と4000人に届かなかったため工事中止。
その時点で用地の95%、路盤30%、軌道10%が進捗していたわけだから、なんとか引き続きと考えるのは当然だろう。
ただ、国鉄が採算なしと見放した路線を第3セクターにしたとはいえ黒字化するのは難しい。ところが外部の専門機関に委託して経営見込みを調査したところ「ローカル輸送のみでは赤字、国鉄と直通の特急列車を含めれば黒字」という結論が得られた。
智頭急行が他の第3セクターと大きく違う点がここにある。細かい点は省くが、同社が第3セクターの中でも黒字化しているのは特急を走らせているからで、そこからの収入が大きく貢献している。
関西方面から鳥取に鉄路で行く場合、新大阪から特急「スーパーはくと」に乗ると思うが、この車両は智頭急行の所有なのだ。JR西日本に貸し出す形を取っているわけで、そこからの収入が旅客運賃収入を上回わっているというから、他の第3セクターから見ればうらやましい限りだろう。
(3)へ続く
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