ストレスとはやっかいなもので、様々な病気を引き起こしたり、最悪の場合は死に至ることさえある。そのことを実証したマウスによる実験はよく知られているが、マウスに限らず魚でも動物でも、ある一定のスペースに多くの生物が入れられると身体が傷ついたり、ストレス死する個体が出てくる。つまり生物が生きていくためには一定の距離が必要で、必要以上に距離が縮まると生物は不安になり、ストレスを感じてくる。
都会と地方ではストレスの感じ方が違うのは他者との距離が違うからだが、地方でも不必要に距離が縮むとストレスを感じるようになるが、一般的には都会より地方の方が距離が長い。そのため都会から地方に移住した人が、地方にリラックス感を感じるのは総じて他者との間の距離が広いからで、物理的距離が精神的距離に大きく関係しているからである。
不自由さを享受する分散型社会
もう一つの原因はコンビニ社会。生活が便利になればなるほどベクトルは外ではなく内に向かう。出かけていかなくても、欲しいものが居ながらにして手に入るから志向(思考)が内向きになるのは当然だ。いきおい他者への関心は薄れ、自分のことにしか関心がなくなる。その結果、他者は共存すべき相手ではなく、居心地の悪い存在、邪魔する存在、対立する存在になっていく。
かくして社会と接触すればイラつき、短絡的犯罪、「理由なき犯罪」に至る。
では、現代型犯罪を防ぐ手立てはあるのか。望ましいのは都市への人口集中を避け分散型社会をつくることだ。それと併行して「コンビニ社会」から脱却し、多少の不自由を享受することだろう。だが、そうなるのはかなり難しい。水は低きに流れ、人は易きに流れるからで、一度楽なことを覚えれば、余程のことがなければ逆には進めない。
かといって、それが全く不可能かといえばそうでもない。一部ではあるが、そちらに舵を切る動きも散見されている。若者の地方移住である。もちろん、それがトレンドになるような動きでもないし、先々そうなることもないだろうが、わずかとはいえ地方へ移住する動きが見られるのは未来への希望を感じる。
「コンビニ社会」からの脱却は都市においても見られる。例えば約1年前から小売店、飲食店が導入しだした営業時間の短縮もそうだ。きっかけは人手不足からかも分からないが、いままでひたすら利便性と売り上げ追求に動いていた企業が、スピードを緩め、大量消費社会の先行きについて考えだしたのは歓迎したい。それがまだパラダイムの変換とまでは言えなくても。
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