軍艦島に行ってきた。長崎市の沖合にある小さな島で、正式名称は端島(はしま)という。かつては炭鉱で栄えた島だが今は無人島だ。
島は南北約480m、東西約160mの、面積約63,000平方メートル。ここに地上7階建ての鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建ち、最盛期には約5,300人が住んでいたというから、人口密度は異常に高い。しかも、狭い島の中に学校や病院、商店、映画館やパチンコホールなどもあったというから、島内で全てが賄えるようになっていたようだ。
軍艦島−−。名前からはなんとなく戦争に関係するようなイメージを受けるが、名前の由来は島の形容が軍艦に似ているところから。
最初にこの島を「軍艦島」と呼んだのは1921年(大正10年)の長崎日日新聞の記事。当時、三菱重工業長崎造船所で建造中だった戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んだのだが、元になっているのは、その5年前に大阪朝日新聞が島を形容して「軍艦とみまがふさうである」と書いた記事だ。たしかにいまでも遠くから見ればまるで軍艦がそこに浮かんでいるように見える。
歴史的建造物に興味があった私は以前から一度ここを訪れてみたいと思っていた。その話をすると、ある人が見学の設定してくれると言うので楽しみに連絡を待っていたが、希望予定の4月を数か月過ぎても一向に音沙汰がないので、結局9月初旬に観光バスツアーに申し込み行ってきた。
現状保存より風化の過程を
軍艦島は過去何度か注目されてきた(その一つに廃墟ブームがあった)が、直近でクローズアップされたのは2008年9月、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まってからだ。翌2009年4月下旬に観光客が上陸できるようになり、観光ツアーが組まれ、多くの観光客が軍艦島を訪れるようになっている。
軍艦島上陸ツアーは人気で、3年間で27万5000人が上陸し、経済波及効果は65億円に上ると言われている。ただ、経済波及効果に関してはいずこもかなり多めに見積もる傾向があるので、それを基にいろんな計画を立てると失敗する可能性が高いだろう。
軍艦島上陸クルージングは何社かが行っているようだが、私が乗ったのは往復とも同じ航路を通るクルージング船だったが、加えて島の周囲を1周して見せるクルージング船もあるようだ。同じことなら、ただ上陸するだけでなく島の周囲を1周して見させてくれる方が軍艦島の全景が見られるのでよかったが、料金が違うのかもしれない。
上陸時間は30分余りと制限されているらしく、ゆっくり島内を見て回れる時間はないし、また見学コースも島の南側に限られており、とりあえず眺めたという程度の見方しかできなかったのが残念だ。写真ですらゆっくり撮る時間はなかった。
上陸して分かったのは鉄筋コンクリート造りの構造物がかなり風化して朽ちていたことだ。コンクリート造りの構造物も風化していくというのは当たり前のことだが、ある意味衝撃だった。どうしてもいま見ているものを永遠であるかのように感じてしまうからで、そうではなく眼前にあるものには歴史があり、過去、現在、未来と変化していくということを改めて知らされた。
このことは難しい問題を含んでいる。いま長崎は軍艦島を世界遺産への登録を期待している。観光客を見込んでのことだ。しかし、世界遺産に登録されると現状保存が義務付けられる。そうなると風化で朽ちていくのを食い止めなければならないが、そのためには11億円〜144億円もの膨大な資金がいる。
内陸部の構造物と違い海風をまともに受ける構造物は風化のスピードが格段に速い。費用の問題もあるが、現段階で時間を止める措置ではなく、風化に任せ、あるがままの段階を受け止めていくという発想に立った方がよくはないか、というのが個人的な感想だ。
クルージング船のガイドの知識はなかなか素晴らしかったので、元船町着いた時「説明がとてもよかった」という感謝の言葉とともに「日本語もきちんとしていたし」という一言を付け加えて別れた。
最近は「○○みたいな」というところを「○○みたく」とか、「お待ち下さい」「お持ち下さい」を「待たれて下さい」「持たれて下さい」という妙な日本語を話す人が多く、非常に耳障りだが、このガイドは正統な日本語(と言わなければならないのが悲しいが)を話していたので、言葉が耳にすっと入っていき、よく理解できた。
残念かつ私の疑問点を解決するには至らなかったのは、軍艦島の表の歴史については詳しく説明してくれたが、負の歴史については一言も触れられなかったことだ。
炭鉱労働と聞いて最初に思い至るのが外国人労働者の存在である。具体的に言えば朝鮮人と中国人労働者である。朝鮮人と中国人は一緒にならないように島の端と端に別れて居住させられていたという。協力し合って暴動を起こすのを恐れてのことだ。世界遺産登録を言うなら、こうした負の歴史についてもきちんと表現すべきだろう。
観光優先の世界遺産登録でいいのか
長崎には世界遺産登録を目指しているものが軍艦島以外にもある。むしろ長崎市はもう一つの方を先に推していたようだ。それは長崎県内に点在する教会群である。
長崎県内には約130棟の教会があると言われている。私が興味を持ったのは建築と歴史で、福岡県大刀洗町の今村教会を見てから鉄川与助が建てた他の教会も見てみたいと思い、6,7年前に長崎県平戸市の田平(たびら)天主堂ほかを見て回ったことがある。
鉄川与助は長崎県上五島町出身の大工棟梁で、明治から大正にかけて長崎県内の教会の3分の1以上を建てている。いずれもレンガ造りの美しい建築物だ。ところが、これほど多くの教会を設計・建築しながら、彼はキリスト教徒ではなく最後まで仏教徒だったというのが面白い。
軍艦島と教会群のどちらが世界遺産登録に相応しいかと問われれば、私は教会群を推すが、本音は登録に反対である。
理由の一つはそこら中が世界遺産になりつつあるからだ。本当に世界遺産というに相応しいのかどうかを再考する必要があるのではないか。
世界遺産は観光名所ではないはずだが、いまや観光客を呼ぶための材料になりつつある。経済優先で、歴史、文化的な観点からではないように見受けられる。むしろ世界遺産保護のためには観光客の受け入れを制限するぐらいの考えがあっていいだろう。
その感を強くしたのは大浦天主堂(長崎市)を訪れた際に信徒の人と交わした会話がきっかけだった。
「ここはお祈りの場ですからね。国宝に指定された時も異見はあったんです。ただ最近は信徒の数も減ってきているから、修理する場合も大変なんです。負担額も信徒の頭数で割りますから。観光客も来て欲しいんですが、それぞれの教会で事情もありますからね」
大浦天主堂は現在、国宝に指定されているが、世界遺産に登録となれば今以上に観光客が押し寄せることは目に見えている。そうなると観光収入は増えるだろうが、静かにお祈りをする時間が妨げられることになる。その狭間で悩んでいるというわけだ。
真面目に信仰するところほど、こうした問題にぶつかる。福岡市内の禅寺も、修行の場だからと普段は観光客の出入りを規制しているところがある。
観光客の中にもマナーが悪い連中もいるし、ところ構わず落書きをする輩も後を絶たない。また、国が違えば文化も違う。団体でドヤドヤと来て、辺り構わず大声で喋ったり、そこら中のものを触ったりする者もいるだろう。日本人だって過去には団体旅行中心で、旅の恥は掻き捨てとばかりに傍若無人な振る舞いをし、ひんしゅくを買った過去があるから、あまり他国のことはとやかく言えないが。
少なくとも長崎県や市は教会群の世界遺産登録を目指すなら、それぞれの教会の信徒と謙虚に話し合った上で推薦をするかどうかを決めるべきだろう。けっして観光優先で決めるべきではないだろう。
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