デル株式会社

 


行き過ぎたグローバル化と自由貿易が貧困を招く(4)
〜拡大生産か均衡生産か


 では、なぜ需要がアップしないのかという堂々巡りのような議論になるが、その要因の一つに新興国の存在がある。生産コストが安く、そこそこの品質のものが世界市場にどんどん出回れば先進国の産業が圧迫されるのは当然で、先進国の賃金は低いまま抑えられる。働く人の収入が低ければ需要も低いままだ。自由貿易とグローバル化が新興国の技術力アップと結び付いた結果といえる。

 2つめの方法はイノベーション(技術革新)による需要の拡大・創出だ。現在はこの方法に最も期待がかけられている。その代表がAI。中でも車への搭載が最も現実的で、各自動車メーカーとも積極的にAIの導入を図っている。
 映像分野では4Kテレビなどの高画質やVR(バーチャルリアリティー)などが期待されているが、果たしてビッグバンを起こせるだろうか。私見を言わせてもらえばほとんど(全くに近い)期待できないと考えている。
 まずVR。これは過去にも「VR元年」などと言われ、持てはやされたこともあったが、一部、映画で使われた程度で気が付いたら消えていた。VRは今回2度目の挑戦ということになるが、結果は前回と大差ないだろう。
 次に4Kテレビ。これはプラズマテレビと似た結果を辿るのではないだろうか。仮に広まるとしても先進国の需要喚起→景気浮揚とはならないだろう。世界的な自由貿易の下では新興国が潤うだけで(恐らく1、2年遅れで新興国の技術が追い付く)、先進国は製造ではなく消費に回るだけだ。

 結局、イノベーションの果実を収穫するのは種を播いた先進国ではなく、後からやってくる新興国である。結果、先進国の経済は浮揚せず、ますます経済は停滞していくことになる。言ってしまえばイノベーションで経済活性化というのは先進国にとっては画餅にしか過ぎないということだ。

拡大生産か均衡生産か

 一体なぜこんなことになってしまったのか。考えられることは一つ。現代人は急ぎすぎたということだ。何かに追われるように時間を消費し、夜中まで活動し、モノを作り続けている。
 その結果得たものは何なのか。広がる貧富の差と、そこから抜け出せなくなった格差の固定化。富はごく限られた一部の人達に集中し、新興国のみならず先進国でホームレスが珍しいことではなくなり、貧困家庭は増え続けている。
 その一方でモノは溢れ続け、ゴミ屋敷とまでは行かないにしても家庭にモノが山積みになり、他の場所に収納場所を借りなければならないほどだ。

 大量生産・大量消費の時代は終わった−−。そう言われてどれだけの年数が経っただろうか。今では誰もがこのことを認め、それを否定する者は誰も居ない。にもかかわらずユニクロ(だけではなくファストファッション業界)は大量にモノを作り販売している。「モッタイナイ」は掛け声だけで、実態は「使い捨て」だ。モノもヒトも。
 そのことに気付いた極々一部の人が農業に回帰している。自分と家族が消費する分だけを生産する生活に。
 だが、こうした動きは決して大きくはならない。相変わらず世界は拡大生産を続け、この星の資源を食い潰すまでやめないだろう。強欲資本主義はいまでは米国から新興国、中でも中国に移り、世界中の至る所に進出し、ありとあらゆる資源を貪欲にかっさらっている。これでは地球が死の星になるのはそう遠いことではないだろう。

 解決策はあるようでない。それは核兵器廃絶と同じ程度に難しい。誰もが分かっていながら、いざ実行となるとどこも先に一歩踏み出そうとしない。できれば自分のところは最後かそれに近いところで行いたい、と思っているからだ。
 地球温暖化防止でさえ足並みが揃わない。ましてや生産縮小などやるはずがない。皆、総論賛成、各論反対。頭で理解することと実行することはまるで正反対なのだから
 必要なのはスピードを緩めることだ。開発のスピードを、生産のスピードを、移動のスピードを少し緩めるだけでいい。そうすれば貧困問題解決の糸口も少し見えてくる。そうしなければ間違いなくこの星は滅びる。その戸口に今の時代が立っている・・・。


PREMOA(プレモア)


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