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林原グループの経営破綻が教えるもの(6)


6.中国銀行と持ちつ持たれつの関係

 最後に指摘しなければいけないのはメーン銀行との関係だ。
林原グループの借入金約1300億円(ピーク時には1600億円)のうち中国銀行の貸出金が約400億円と大きい。この金額について「過剰な貸し出し」ではないかと指摘する声もあったし、法律で義務付けられている会計監査人を同社が置いていなかったことを、破綻するまで中国銀行が知らなかったなど、林原グループと中国銀行の関係は通常のメーン銀行と企業の関係とは思えないものだった。

 林原の資本金は1億円である。そこに400億円も貸し付けていたのだから、帳簿を詳細に見ていなかったのではないかと疑われても仕方がない。
 実際、中国銀行は「会計監査人が登記事項であるということを行内で誰も知らなかった」どころか、「経営サイドから『登記簿を調べろ』と指示したこともない」と答えているほどだから、融資先に対して弱腰であったことは否めない。「監査報告書の提出を求めたが応じてもらえなかった」と言うに及んでは、なにおかいわんやである。

 それにしても林原グループと中国銀行の関係は尋常ではない。それもそのはずで、同グループは中国銀行から融資をうけている融資先企業であると同時に、中国銀行の株を10%あまりも持っている大株主だったのだ。
 だから中国銀行は大株主である林原グループに強く出ることができなかったのだ。それどころか同社の言うがままに融資に応じていた、という見方もできる。
 だが、いくら大株主相手とはいえ銀行がそんな甘いことをするわけはなく、同社の不動産を担保に過剰融資に応じていた、という人もいる。
 いずれにしろ林原グループと中国銀行は持ちつ持たれつの関係にあったことだけは確かだろう。

7.メーカーの道を選択していれば

 さて、以上色々同社破綻の要因を見てきたが、主要因は採算を全く度外視した研究開発にのめり込んだ結果の社内バブル、研究開発バブルである。
 それにしもブレーキをかける人間が誰もいなかったのか。本来なら実務に当たっていた専務の靖氏だろう。だが兄が社長で、その兄が担当している研究開発が成果を上げていただけに言いにくかったのかもしれない。いわんや一族以外の人間ともなれば諫言などとてもできなかったに違いない。なんといっても健氏は19歳の時からトップに君臨していたのだから。
 やはり長期政権故の弊害もあった。長年トップに君臨し続けることで後継者が育たず(育てたくない)、周囲にイエスマンしかいなくなる。こういう組織は攻めている時は強いが、失速あるいは守りに入ると途端に弱くなる。

 研究開発は打ち出の小槌ではない。そう次から次に開発できるわけではない。いずれは失速する、というか、本来期間が長いものである。成果が出るまでの間のことは常に考えておかなければならない。
 林原の場合はそれを不動産投資ということで考えたのだろうが、研究開発に固執するあまり自らメーカーへの道を閉ざしたのは果たしてベストの選択だったのだろうか。
 もともとは工業化することで業績を伸ばしてきた同社だ。1商品ぐらいはメーカーへの道を選択してもよかったのではないだろうか。そうして、メーカー部門で稼いだ資金を研究開発に回すというやり方を取ればもう少し違った結果になっていたのではないかと思う。少なくとも研究者が収支のことを考えるようになったのではないだろうか。
 再び言う。好事、魔多し、と。
絶好調の時ほど陥穽が潜んでいる。
そしてひとたび歯車が狂い始めると、あっという間に逆回転しだす。
それを防ぐには社内外に客観的、冷静に物事を判断し、諫言してくれるブレーンを持つことだ。諫言は耳に痛しである。だからついつい諫言してくれる人を遠ざけてしまう。
 この機会にそっと周囲を見回してみたらどうだろう。もしイエスマンしかいなかったら要注意である。「栗野的視点」では転ばぬ先の杖を常に提供していると思うのは私の思い違いだろうか。
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