栗野的視点(No.694) 2020年6月29日
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応援したい気持ちになれる飛騨高山の呼びかけ
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6月中旬以降、国の関心はCOVID-19より経済に、人々の関心も「巣籠もり」から普通の生活に移ってきたようだ。というか、今までの反動から街へ、観光地へ押し寄せ、京都など一部の観光地は「緊急事態宣言」前以上の人出があったとか。
「人との接触を8割減らせ」なんてのは土台、無理な話で、「新しい生活様式」なんてバカなことをよく言うものだと思う。それでも縛られる(命令される)のが大好きなこの国の人間は無批判的で、従順に従うものだから「緊急事態宣言」が「解除」された途端、今度は反動で、一気に外に飛び出す。そうなれば感染者数が増えるのは当初から想定された通りだ。
とにかく呆れるのはカタカナ語が大好きな連中がいて「オーバーシュート」だとか「ロックダウン」「ステイ ホーム」「ウィズ コロナ」「トウキョウ アラート」などの語を次々に発し、これまた無批判的なメディアがそれに追随し、大して考えもせず言葉だけを躍らせる。
それって選挙に利用されているだけではないかと思うが、海の向こうのトランプのことは選挙利用と分かっても、灯台下暗しで足元のことは見えないらしい。
「解除」後に東京都の「新型コロナ」感染者数が55人を連続して超えているのだから「トウキョウ アラート」を再発動してもよさそうだが、今度は言を変えて「アラート」と言わない。選挙期間中にマイナス評価に繋がりそうなことはしたくないかららしく、「コロナ」もオリンピック同様しっかり政治的に使われていると言わざるを得ない。
とにかく今回のCOVID-19に関してはおかしなことばかりだ。「ウィルスとの共存」は当初から分かり切っていることで、重症化するのを防ぐことに対策の重点を置かなければならないことはこれまた分かり切っている。それなのに、そこを怠ってきたから、結局COVID-19以外で亡くなる人の数を増やしているし、今後も増え続けるだろう。
スウェーデンのCOVID-19死者数が多いのは高齢者、それも介護施設の入所者が多いのが特徴で、各国はここに学ぶべきだったが、そうではなく強権的な中国方式に倣った。
まあ、このことは何度も指摘してきたからもう言わないが、と言いつつまたしては言っているが。
COVID-19が、というより「コロナ」が人々の心を変えてしまったことが最も怖い。例えば「県をまたいでの移動自粛」を呼びける時、岡山県知事は(ほかにも同じように言った知事がいたのかもしれないが)「今は岡山県に来ないで欲しい」とTVで訴えていた。そして兵庫県との県境で体温チェックをするとまで言った。すると体温チェックに反対する声が一部、県庁に届き、職員が脅しと捕らえたことで結局実施はしなかったが。
私自身はその映像を目にした時、随分身勝手だなと思い、途端に岡山県が嫌いになり、もう倉敷などの観光地には行かない、行きたくないと思ったものだ。
いやいや、あんたも岡山県生まれでしょ、と言われそうだが、私の生まれ故郷は岡山県でも北東の外れ、美作(みまさか)で岡山ではない、と嘯いておいた。
一方、感心したのは飛騨高山だ。飛騨2市1村(高山市、飛騨市、白川村)はCOVID-19の拡大を防止するため「飛騨はお休み中です」という動画を配信した。
そして緊急事態宣言が解除された後の6月19日に「飛騨お目覚め宣言」を出し「飛騨で待っとるよ」と訴える動画を配信した。これが実に微笑ましい。
「6月19日、飛騨は長いお休みから目覚めます」から始まり「皆様に一つお願いがあります。体調が悪い方は旅をお控えいただき、元気になってから飛騨へお越しください」と結んでいる。
こういう言い方をされれば思わず行きたくなるし、飛騨を応援したい気になるというものだ。皆さんもぜひ飛騨高山の動画をご覧いただき、ご自分の目と耳でお確かめいただきたい。
言葉は言い方ひとつで凶器にも愛にもなる。観光来県自粛をお願いするにしても、これほど違うのかと驚かされた。私などはへそ曲がりだから岡山県知事とか徳島県知事の言い方を聞けば、そのあまりの身勝手さに腹立たしく、二度と行くものかと思ってしまう。とにかく今回の「コロナ騒動」は人々の人間性を炙り出したようだ。
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