なぜ地銀が撤退せずに支店を置いたままにしているのかは不明だが、それなりの取引先があるからとしか思えない。それでふと思い浮かんだのが昔からある小さな撚糸工場。しかし、これだけで支店を残すとは思えない。
そこで色々考えてみると、朝夕の送迎バスに乗るアジア系外国人の存在。ある時、定食屋で朝食を摂っている時、隣の席で同じように朝食を摂っていたアジア系の人達に話しかけてみた。
彼らはベトナムから来た若者達で、工業団地の○○で働いていると言った。○○の部分はよく聞き取れなかったが、工業団地内の製造業らしいということは分かった。
他にもコンビニで朝見かけた作業服姿の日本人に話しかけると、やはり工業団地に進出している関西の企業だと言っていたから、地銀が支店を残している理由はそれらの企業の存在ではないだろうか。
さらにJRの駅(運行本数は少ないが)や高速バスの乗り場(京都・大阪便で本数が多く便利)も徒歩10分以内にあるし、ホームセンター、ドラッグストアまでも出来ている。
いままでは、過疎地で車がなければ買い物にも行けないと思っていたが、日常生活でそれほど困ることはなさそうだ。おまけに12月には台湾人が台湾料理の店までオープンする。ただ、こちらは継続が難しいかも分からないが。
田舎生活の快適さに目覚める
こうした利便性が私の帰省を後押ししている側面がないわけではないが、もう少し違う環境、アメニティーと言っていいかもしれないが、そこに価値を見出してきたと言った方が正確か。と言っても、それに気付いたのはこの1、2年。母も亡くなり、残った家の行く末を考えるようになってからだが。
アメニティーと言ったが、それに対する捉え方は人それぞれだし、見方によって随分異なる。例えば利便性を求めれば都会生活の方がずっと快適だし、美術館や博物館といった文化的環境も整っている。
そうしたものとは別のところに快適性(アメニティー)を求めると、逆に都会生活は厄介で、時にストレスの溜まる場所になる。
人も車も多い都会と、長閑な田舎の生活はどちらが快適かと問うても人それぞれに捉え方が違うから一概にどうとは言えない。交通の便が悪く、大型ショッピングセンターもない田舎は退屈きわまるという人もいるだろう。いや、そう感じる人の方が多いだろう。だが見方を変えれば、地方に移住する人達が少数ながらいるように、田舎生活の方がアメニティーだと感じるかもしれない。
実のところ、繰り返しになるが、私自身が比較的最近まで前者の都市生活支持者だった。それがなぜ、と問われ、「歳を取ると田舎の方がよくなる」とか「俺には田舎の生活が合っているようだ」と適当に答えてきた。実のところ自分でも明確な理由が分からないからだが、何かから逃げている側面はありそうだ。
田舎に居る時は、朝起きると、まず各部屋の窓を全部開け放ち、小1時間そのままにしておく。冬は9時にならないと陽が射してこないが、春先からは鶯の鳴き声がすぐ近くで聞こえる。その頃は「ホーホケキョ」とは鳴かない。「チチ」とか「チャッチャッ」という笹鳴きで、夏が近付いてくると「ケキョ、ケキョ」と鳴き始め、それに「ホー」が加わりだし、やがて「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ」と囀り(ツイート)出す。
姿は見えないが鶯の成長を見ているような気になる。句の一句でも捻りたくなる。都会のマンション生活では味わえない贅沢な時間だ。
鳥も庭によく飛んでくる。ある時、雀にしては少し小太りな鳥が庭に降りてきた。何だろうと近付きかけると翼を広げてパーと飛び立っていったが、その翼の美しかったこと。翼に大きな黄色い帯模様があり、まるで金色の衣を纏っているようだった。初めて目にした鳥だが、後で調べるとカワラヒワ(河原鶸)という種類だと分かった。
こうした自然環境に心地よさを感じるとともに、住まいを「仮住まい」から快適空間に変更することも始めた。手始めは故障していた便座一体型ウォシュレットを別メーカー製のものに替えるリフォーム。
続いて各部屋を仕切っていた襖、ガラス戸の類いを全部取り外し、3部屋を1つの空間にした。すると本間サイズで20数畳の空間ができた。それに広縁が2箇所加わる。冷暖房効率は悪いが、空間的、気分的な開放感は素晴らしかった。
さらに食器も慶事用に仕舞われていた漆器を取り出して日常使いにするなど、1人でも食事を楽しめる雰囲気に変えていった。
ないのは書籍とビデオと衣類。TVは昼と夕方の食事時にニュースを見るぐらいで、ほとんど見ない。新聞は取ってないし、デジタル紙面もSIMの契約データ量の問題から見ない。同じ理由からインターネットへの接続も最小限に留めている。
インターネットの常時接続から解放されると時間まで解放される。それでは情報過疎になるのではと心配する向きもあるかもしれないが、いままでが情報過多すぎ。昼と夕方のニュース番組だけで充分事足りる。ムダを削ぎ落とし、これこそ「断捨離」。モノがない空間で過ごすことが、こんなに快適なのかと分かり始め、やっと地方に移住する若者が求めているものが分かってきた。
足し算でなく引き算でいい−−。そう気付いた時、精神(こころ)が解放された。いままであまりにも「常識」や既成観念、既存意識に捕らわれ過ぎていた。残りの人生、もう少し自由に生きたい−−。
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