栗野的視点(No.775) 2022年9月16日
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ホモ・サピエンスは滅亡に向かっているのか(U)〜サルからヒトへ、ヒトからサルへ
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サルとヒトの違いは言葉
遠い祖先を同じくするサルとヒトは、その後の進化の過程で全く別種の生物に変わって行った。サルがほぼサルのままで留まっているのに対し、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人などいくつかの系統に分かれながらもヒトへと進化して行った。
なぜ、サルはサルのままで、ヒトはホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)へと進化して行ったのか、進化出来たのか。言い換えれば両者の差を決定づけたものは何なのか。
ヒトが他の動物と違うのは火を扱うことが出来たからとか、道具を使うことが出来たなど色々言われているが、火を怖がらないサルもいれば、仲間と助け合ったり、道具を使うことが出来る動物も確認されている。
にもかかわらず、それらの動物がヒトに取って代わることが出来なかったのはなぜか。それは言葉・言語を持たなかったからだ。
そんなことはない。コミュニケーションの手段としての「言葉」を持つ生物はヒト以外にもいるではないか。例えばイルカやサル、ゴリラ、さらには鳥の中にも「言葉」を話すものがいることは最近の研究で明らかにされている、と言われそうだが、それらの動物が話す「言葉」は信号とか合図に近い「言葉」で、ヒトのように複雑な言葉、言語は持っていない。
ヒト以外の生物が話すものを言葉と言っていいかどうかは別にして、それらの生物が持っているのは単純な「言葉」、伝達手段であり、ヒトのように複雑な言葉、言語ではない。言い換えればヒトは言語を持ったことで他の生物よりコミュニケーションが深まり、思考が可能になり、生産活動や技術開発が出来るようになったのである。
言語は集団化、区別化を促進すると同時に集団内のコミュニケーションを蜜にし、共同作業、協力作業のアウフヘーベン(止揚)を可能にする。この点で他の動物とは一段階高い共同作業、協力作業が出来、技術開発、技術革新を生み出すことができ、そのことが他の動物達との差を生み、ヒトが一歩抜きん出るだけでなく、さらなるアウフヘーベンを生むプラスの連鎖になっていく。
つまりホモ・サピエンス・サピエンスがホモ・サピエンス・サピエンス足りえた主要因は言葉・言語を持ったからと言える。
それが故にヒトはサルから進化しえたのであり、ヒトとサルの違いは言葉・言語を持ち得るかどうかである。
言葉が軽視される時代
「『丁寧に説明していく』って言う言葉を聞くと、今まではいい加減な説明をしていたのかと思う」と知人が憤っていたが、まさにその通りだと思う。
岸田首相だけではない、歴代首相のこの言葉を聞く度に、彼らは国民をバカにしていると腹立たしかった。
まず、今までは「丁寧に説明」していなかったのかという点が1つ。もう1点は「丁寧に説明」する内容。政府答弁等を聞いていると結局同じ言葉を繰り返しているだけで、そこに何らかの新しい説明は付与されていない。これをオウム返しと言う。
つまり政治家が言う「丁寧に説明していく」ということは「同じ言葉を何度も繰り返す」だけと同義語で、言い換えるなら「何度でも『丁寧に』同じ言葉を繰り返す」というだけで、言葉の貧困以外の何物でもない。
政治家にとって言葉ほど重要なものはない。にもかかわらず最近、言葉が貧困、言葉の使い方を知らない政治家が増えている。
例えば「検討する」と言う言葉。政治家の場合、これは「なにもしない」と同義語だ。仮にそこに「前向きに」という言葉を付けたとしても意味はほとんど変わらない。せいぜい「一応検討するフリをしてみる」程度にしか前に向かない。
それとよく分からないのが「脇が甘い」という言葉。政治家に限らずよく使われるが、脇を絞めて警戒していればいいのか。確かにそういうことで防げることもあるだろうが、その前にそういう原因を作ったことに問題があるわけで、それを「脇が甘い」とコメントする人達って何? と思ってしまう。
まあ、言葉が軽くなったのは政治家に限ることではない。友達の間でも「近い内に連絡する」「近い内に会おう」とか「近い内に食事でも」という言葉はよく使われるが、この言葉に意味はなさそうだ。「じゃあ、また」という会話を打ち切る挨拶言葉でしかない。いずれにしろ言葉がどんどん軽くなっている。
まあ、それはさて置き、近年、言葉に毛ほどの重さもなくなっているのは事実だ。「侵略ではない」と言ってウクライナに攻め入るプーチンの軍隊。「民間施設は攻撃していない」と言って、学校や病院にロケット砲を打ち込むプーチンの軍隊を挙げるまでもないだろう。
古今東西、独裁者とはそういうものだが、プーチンだけが問題ではなく、過去、ナチスも日本軍も同じことを言い、同じようなことをしてきている。つくづく人間とは反省しない、過去の歴史に学ばないものだと思う。
ヒトからサルへと逆行
近年、言葉を簡略化、記号化する傾向がある。さらに問題なのは語彙数がどんどん減少し、死語となっていっていることだ。
それがなぜ問題なのか。言葉は思考だからだ。ヒトは言葉でものを考えている。記号や数字、図形、イメージで考え、伝えているわけではない。それらで考えられることは比較的簡単なことだ。例えば赤ちゃんが気持ちやモノをうまく伝えられないのは泣き方を少し変えるか、「バブバブ」「ウマウマ」など発する単語が少ないからで、これは犬や猫、その他の獣も同じだ。
ヒトとサルの遺伝子は1%しか違わないそうだ。とすればサルがヒトに代わってもいいはずだが、そうならないのはなぜか。
ヒトは言葉と言語を手に入れたが、サルは少ない言葉しか話さないからサルのまま留まっていると言える。
もし、サルが今以上の多くの言葉を話すようになり言語を手にするとサルの思考力は激増し、様々なツールを開発し、やがてはヒトと並ぶ、あるいはヒトを超える存在になるに違いない。
しかるに今、我々人類は話す言葉の数を減少させているばかりか、記号化しさえしている。早い話、どんどん思考が単純化して行っているわけで、サルに近付きつつある。
このまま進めばそう遠くない時代にヒトはサルの仲間になっているかもしれない。いや、言葉を毛ほどの重さにしか考えていない人達はすでにそうなっているのかも。
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