建築家・磯崎新の訃報に接して思い出す事々(1)


栗野的視点(No.790)                   2023年2月16日
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建築家・磯崎新の訃報に接して思い出す事々
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 年の瀬も押し迫った昨年(2022年)12月28日、磯崎新氏が亡くなった。91歳、老衰、亡くなられた場所は那覇市の自宅とのこと。
 新聞報道で知った時、羨ましいというか、よかったと思った。今時、自宅で老衰死というのは珍しい。「畳の上で死ぬ」というのは昔の話で、今では「畳の上で死にたい」というのは贅沢な願いで、ほとんどの場合は病院死である。病院で亡くなると医師はなんらかの症状・病名を付けるが、そこに「老衰」はない。
 磯崎氏の場合、それができたのだから、長患いでもなく静かに息を引き取られたのだろうと思う。これ以上いい死に方はなかったのではないか、できれば自分もそういう死に方ができればと思う。
 磯崎氏の自宅が沖縄・那覇にあったとは知らなかったが、伴侶を亡くされた3年後の2017年頃、沖縄に移住されたようだから、3回忌を済ませた後に単身移住されたのだろう。

 ところで磯崎新の読み方を知っている人が建築関係以外でどれだけいるだろうか。磯崎新と書いて「いそざき あらた」と読む。九州とは馴染みのある建築家、アーティストである。
 生まれは大分市で九州には氏が設計した建築物が多くある。読者に馴染みがあるの大分県立大分図書館(現アートプラザ)、由布院駅舎などがあるだろうし、福岡県人には博多駅前の福岡相互銀行本店(現西本シティ銀行本店)や北九州市立美術館、北九州国際会議場が即思い浮かぶのではないか。岡山県では岡山西警察署や県北東部の奈義町現代美術館がある。

奈義現代美術館

 個人的には最初に磯崎氏の建築に触れたのは大分県・由布院駅舎だった。氏の建築で多用されているのはキューブで、北九州市立美術館の2本のキューブが突き出ている様を見て双眼鏡を連想したことを思い出す。
 磯崎新氏はアバンギャルド(前衛的)という言葉と一緒に語られることが多いが、由布院駅舎はそれとは少し異なる。
 個人的な好みもあるかもしれないが、周辺の環境に溶け込む、あるいは周辺の環境に違和感を与えない建築物の方が私は好きだ。そういう意味で木を多用した由布院駅舎が印象に残っているし、この駅舎を設計し、造ったのは誰だと興味を持ったのだった。

 その後、氏に触れたのは細川護熙氏が熊本県知事時代に行った「くまもとアートポリス」プロジェクトで、その初代コミッショナーに就任したのが磯崎新氏だった。
 これは画期的なプロジェクトだった。公共建築は公募形式で行われるのが一般的だが、ここで行われたのはコミッショナーによる指名であり、全国から有名、有望な建築家、デザイナーが熊本に集まり県下の公共建築を手掛けたのだ。
 若手はチャンスを与えられ、その後活躍できるステップになっていったし、すでに名が売れていた建築家にとっても新たにチャレンジできる場でもあった。
 それだけに実験的だったり、デザイン優先になり過ぎた嫌いもあり、利用者のことを考えていないという批判も多く聞かれたが、コミッショナーとしての磯崎氏の果たした役割は大きかった。

 私的なことになるが、このプロジェクトは全国への情報発信のため、主として東京のメディア関連の者達が交通費、宿泊費付きで招待された。その中の一人に私も入っていた。
 だが福岡、熊本は日帰り圏だから宿泊は不要だし、自分の車で行くから交通費も不要。その代わり見て回るコースは自由にさせて欲しいと申し出て了解してもらったが、九州から招待されたのは私だけだったと思う。組織に属していないフリーで活動しているジャーナリストなのに。
                                   (2)に続く


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