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日本語を上達しよう。


  「文章を上手に書くにはどうすればいいですか」
仕事柄こうした相談を時々受けることがある。
私の返事は大抵こうだ。
「できるだけ文章を短く切ること。一つのセンテンス(文章)の中に言いたいことは一つだけにする」
 下手な文章(意味が分かりにくい文章)は書き出しから文末の句点(。)までに言いたいことが一杯入っていることが多い。その上、修飾語が不適切な部分に付くからますます文意が分かりにくくなる。
 では、修飾語はどのように付ければいいのだということになるが、色々言うと「書くのは難しい」となるので、「書き出しから文末のマルまでに一つのことだけを言う」といつも指導している。
 「勉強するためには何を読めばいいですか」
この質問の答えは「新聞です」。
新聞の文章は一つの文章が短く、意味を誤解されずに、読みやすく書かれているからである。

 小説家の誰かの文章が参考になると思っている人が多いが、これは逆だ。
小説家=正しい文章、きれいな文章ではない。むしろ悪文に類する人が多く、そんな人の文章は参考にならない。といっても、その人の小説の価値を否定するものではないので誤解のないように。
 悪文家を挙げるのは問題があるが、美文家は有島武郎が広く知られているし、山本周五郎の文章は無駄を省いた、きれいな文章であり、私が好きな作家でもある。総じて最近の作家の文章は無駄が多すぎるようだ。説明しすぎるのだ。

 それはさておき、文章技術が上達する参考書を一冊挙げろといわれれば、本多勝一氏の「日本語の作文技術」(朝日文庫)を即座に薦める。これほど見事に文法を解説し、文章の作法を示した本はないだろう。
 本文中でも本多氏が指摘しているように、句読点(マル、テン)は日本語と思われていないのか、文字としてのまともな扱いを受けていない。対して欧米では日本語のマルにあたるピリオドや、単語の最初を大文字にするかどうかなどについて、かなり厳しく指導するらしい。そういった話を英語圏に留学した人から聞いたことがある。ところが、日本では国語の授業で文章の書き方を教えてもらった記憶が私自身にもないし、ほかの人からも聞いたことがない。これでは文章がうまくならないのは当たり前かもしれない。

 最近目障りなのはマルを妙なところに付ける文章がやたら多いことだ。作法の悪い文章はエチケットを知らない振る舞いと同じで、見苦しいだけでなく、その人の品格までも疑ってみてしまう。「人は見ためが9割」という本が流行っているようだが、文章にこそいえる。「見ためが9割」である。見た目がきれいな文章は読みたくなるが、見た目が悪いと読みたくなくなる。
 余談だが、このことは技術にも通じる。半導体の回路を挙げるまでもなく、見た目が悪い製品は精度その他でやはり見劣りがすることが多い。

 さて、目障りなマルの使い方を前出の<「書き出しから文末のマルまでに一つのことだけを言う」と指導している。>を例に解説してみよう。
 よく見かける間違った使い方は次のようなマルの付け方である
<「書き出しから文末のマルまでに一つのことだけを言う。」と指導している。>
                                 ↑
                              この部分
 お分かりだろうか。
マルは文章の最後に付けるものなのに、上の文章では「」の前に一度マルが付き、文章が終わった段階でもう一度マルが付いている。
この「」の前にマルを付けている文章を最近よく見かけるが、この箇所にマルは要らない。
 あとは本多氏の「日本語の作文技術」で勉強して欲しい。

 最近は漢字や日本語に関するクイズ番組がTVであるなど日本語ばやりのようだが、最近面白い本を見つけて数冊買ってしまった。
「そんな日本語力では恥をかく」
「疑問だらけの日本語」
「間違うと恥ずかしいあやふやな日本語」
「国語力がメキメキ身につく本」(以上いずれも河出書房新社の夢文庫)

 これがとても面白い。その上、気軽に読める。
まるで落語でも聞くように面白いから気分転換に読むのには打って付けだろう。
しかも勉強になるから皆さんも是非。
 一つ二つ例を挙げておくと。
「喜びをひしひしと感じる」→「喜びをしみじみと感じる」
「電車が混まない前に帰宅する」→「電車が混む前に帰宅する」
「学歴が低いことに負い目を感じる」→「学歴が低いことに引け目を感じる」
 間違いの訂正だけでなく、理由や使い方の解説がしてあるから、なるほどと感じるはず。
 例えば「負い目」「引け目」のところでは次のように記述してある。
<「負い目」とは、例えば誰かからお金を借りるなどして、それを負担に感じる気持ちをあらわしているからだ。学歴が低いことは、決して負担ではないはずである。・・・「引け目」はほとんどコンプレックスと同じ意味で、他人とくらべて自分が劣っていると感じる気持ちをいう。>

 読み方では「奇しくも」(くしくも)を「きしくも」と間違えて覚えていたり、「縁は異なもの味なもの」を「縁は奇なもの、味なもの」と間違えていたりする例など結構楽しめる。
脳の活性化にもお勧め!


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