エレベーターが問題になる
直葬といっても病院からそのまま火葬場に直行できるわけではない。少なくとも死後24時間は法律で火葬できないと決められている。これは万一の蘇生を考えてのことだが、ほかにも火葬場の日程がある。早い話、順番だ。すぐ空いていればいいが、順番によっては2、3日後ということもある。そうなると、その間の安置場所をどうするか。季節によっても違うが、遺体の腐敗防止のためのドライアイスの量も安置日数によって大きく変わってくる。
式場によっては安置室を用意しているところもあるが、直葬・家族葬専門のところでは、それもないか、あっても本当に小さなスペースということもある。
私の場合は、やはり最後は私の所で過ごしたいだろう、過ごさせてやりたいと考えていたから自宅安置にした。
そこで問題が出てきた。エレベーターの有無と、エレベーター内に棺が入るかどうかだ。マンションにエレベーターはあるが、棺を収めるスペースが造られていないことが分かった。
比較的最近建設されたマンションのエレベーターには棺を水平に入れられるように奥の壁が開くような仕掛けになっているが、築年数が40年近くと古いため、エレベーター内にそのようなスペースをこしらえる作りになってなかった。すると階段を歩かなければならない。幸い4階だから、まだなんとかなるが、これが6階、7階だと自宅安置は諦めなければならないかも。
ここでも葬儀社によって対応が分かれた。人員は1人しか派遣できないというところ、基本2人で行くから大丈夫というところと。前者は3人程は自前で都合付けるか、葬儀社側で手配する場合は1人当たり15,000円かかるとのことだった。
では、15年前に行った妻の時はどうしたのだろうかと記憶を辿ると、その時はもちろん検討したり考えたりする余裕も準備もなく文字通りのぶっつけ本番、お任せフルコースだったから相手の言うがままだった。
家族葬が急増の背景
某葬儀社によれば福岡は激戦区らしい。全国的に見ても葬儀場が多い地とのこと。たしかに近場を散歩するだけで1、2箇所は必ず見かける。そして、それらの葬儀場には必ず「家族葬」の文字が見られる。
ところで家族葬についての明確な定義はないらしいが、参列者の数が30-40人以下の葬儀に対してそう呼んでいるようだ。家族だけで行う葬儀という意味ではなく小規模の葬儀、こじんまりとした葬儀というような意味合いのようだが、近年、この小規模葬が急増しているという。都市によっては5割を超えるところもあるというから、これからは葬儀の標準的なパターンになるかもしれない。
それにしてもなぜ、家族葬など小規模葬儀が増えているのか。背景にあるのは高齢化と価値観の変化である。
つい最近まで人生80年と言われていたが、いまや90歳超の高齢者はごろごろしている。実際、私の母も亡くなったのは93歳8か月で、母の姉も94歳近くまで生きた。
高齢者になると行動範囲・交際範囲が狭くなるし、友人・知人も同年代で足腰が弱っていたり病気がちで外出もままならない人も多いだろう。それがために葬儀の参列者は減る傾向にある。
また遺族や喪主の年齢も上がる。参列者は故人との関係はもちろんだが、それと同じぐらいに喪主との関係で参列する人が多い。喪主がまだ現役なら仕事等で付き合いがある人達の参列も多いだろうが、退職して一線を離れればそういう人達の参列も減る。それならばごく親しい人達が集まる小規模葬でいいじゃないか、形だけ盛大な葬儀より規模は小さくても心を込めた葬儀をしたい、そう考える人達が増えてきたということだろう。
一方、価値観も大きく変化してきた。昔のように結婚式と葬儀を人生の二大セレモニーと捉える考え方は少なくなり「葬儀に金をかけたくない」「見栄を張らず質素でいい」「子供達に負担をかけたくないから家族だけで送ってくれ」と言い残す親も増えている。
とはいえ、これが一昔、二昔前なら「隣近所に恥ずかしい」「部落の風習だ」などと親戚連中に説得され、たとえ不本意でも部落中の人を呼んで、そこそこ盛大な葬儀を執り行わなければならなかった。
ところがコミュニティーの崩壊で、そうした呪縛から解き放たれたこともある。これが価値観の変化だが、その裏には1億総中流社会から下流社会への転落があることも見逃せないだろう。
セレモニーは金がかかる。それでも結婚式は未来へ向かってのセレモニーだから、そこでかかった費用を将来取り戻す可能性があるのに対し、葬儀費用の回収はできない。ちょっと不謹慎な言い方かもしれないが、葬儀費用は不良債権に近い。それならばできるだけ金をかけたくない、と考える人達が増えてきたということだ。
(3)に続く
あの錦織圭選手が食べたい!と言った本場!山陰・島根のノドグロを産地から直送でお届けします!【シーライフオンライン】
|