エクスパンシス

 


賢治のようにはなれないけれど(1)
〜そんな人に私はなりたい


そんな人に私はなりたい

 宮沢賢治の代表作の一つに「雨にも負けず」がある。
代表作と言ったが、「雨にも負けず」は詩として発表されたものでも、彼の生前に発表された作品でもない。死後に見つかった手帳に記されたメモとでも言うべきものだ。
 しかし、いまでは賢治の代表作のようになり、全文を諳んじることができる人もいると思うが、以下に全文を引用してみよう。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒(いか)らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

 この詩は不思議(?)な文章である。どこが不思議かって? 主語が最後まで出てこないのだ。そのため日本語と英語の違いを端的に表す例として引用されることも多いが、日本語としてみても分かりにくい文章である。目的語ばかりが延々と続き、主語と述語が最後にならないと出てこないのだから何が言いたいのか分からない。
 もし、このような言い方を社内で、それも上司の前ですれば「で、結局何を言いたいんだ」と途中で怒鳴られるのはまず間違いない。人は不都合な時ほどこういう言い方をする。例えば遅刻をした言い訳とか、商談が上手くいかなかった時の言い訳に。

 それはさておき、賢治がここで言っている「そういう者に私はなりたい」とは何を意味しているのだろうか。「そういう者」とは架空の誰かのことで、自分もそうありたいという願望を記したものなのか、それとも現実的なモデルが存在して、自分もそういう生き方がしたかったということか、あるいは自分自身そういう生き方をしてきたが、さらに徹底したかったということか。
 この詩が死の床についている時に書かれたものだということを考えれば、賢治の自戒の言葉とも取れる。
 モデル実在説を取る人達は、「そういう者」とは賢治と交友があった斎藤宗次郎のことではないかと言う。その場合、自分も宗次郎のように人の役に立つ人間になりたかったという、多少の自戒を込めた賢治の願望だったと取れる。
 斎藤宗次郎は内村鑑三の忠実な弟子として知られる人物で、花巻で最初のキリスト教徒であり、そのために様々な迫害にあっている。にもかかわらず、雨の日も風の日も、新聞配達をしながら人々のために祈り、人々のために助力を惜しまなかった。後に内村鑑三の勧めで花巻を後にし東京へ旅立つ日、彼の予想に反し、花巻の駅は見送りの人々で溢れかえったという。
 こうしたことから考えれば、賢治の「雨にも負けず」は斎藤宗次郎の行動を詩に詠んだものだとする説にも納得できる。賢治自身、彼のように徹底できなかったことを多少悔いていたのかもしれない。
                                               (2)に続く

 


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る










イオンショップ