栗野的視点(No.702) 2020年8月16日
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夏の夜の戯言〜汗と会津と京都人と
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ この頃、私は本当は京都人ではないのだろうかと思うことがある。戸籍上は岡山県英田(あいだ)郡作東(さくとう)町で生まれたことになっている。生まれた日は30cmもの降雪があったとのこと。母の話から察するに予定より少し早く産気づいたようで、慌てて父が産婆さんを呼びに雪を掻き分け掻き分けして走ったらしい。
その話を信用すれば私は戸籍に記載されているように岡山県生まれなのは間違いないが、歳を経るに従い自分の出生に疑問を感じ出している。本当は違うのではないか、あるいは京都人の血が流れているのではないかと思っているのだ。
その根拠はもう少し後に述べるとして、実は父の出生地を聞いたことも見たこともない。戸籍謄本を見れば分かることだが、自分以外のことにはあまり関心を払ってなく、結果として「見たことがない」となる。
若い頃鎌倉で過ごしたとか、鎌倉の叔母さんに世話になり可愛がられたらしいという話はよく聞いていたが、青春時代の話など、ついぞ聞いたこともない。
父の学生時代の話で私が聞き知っているのは早稲田大学理工学部卒業と、軍事教練で馬に乗り痔になったという程度で、夕飯時に笑いながら父が言っていた。
淡い恋愛話も恋心を寄せた女性のことも聞いたことがない。今考えれば、そんな話の1つや2つぐらいあってもおかしくはないと思うが、なぜか聞きもしなかったし、父も話さなかった。
まあ、仮にそういう女性がいたとしても私の出生には関係がないわけで、あるとすれば母の方だが、戦時中に京都から疎開してきた一家がいて云々なんて展開でもあれば別だが、そんな話もついぞ聞いたこともない。
というわけで両親からは京都の「き」の字も関係なさそうなので祖父の時代にまで遡ってみた。墓碑にあるように祖父は岡山県津山市出身のようだ。親戚の1人息子が夭折したため、次男だった祖父が養子になり、そちらの名を継いだ。養子先は津山一宮神社の神官だった。それは一宮神社誌に記載され残っているから間違いないが、その祖父がよく言っていたのが我が家のルーツの話で、藤原鎌足から発するというものだった。
この話を信じると遠い先祖の時代に京都と関係があったことになる。これでやっと私と京都人とが少し繋がったような気がする。
もう一つは父方の祖母の系列である。祖母は会津藩士の娘で大妻女学院を卒業しているから、食うや食わずの下級藩士の娘ではなかったのだろう。
ここで重要なのは会津藩士という点だ。会津藩は京都守護職の任にあった。とすれば先祖が京都の女性と関係があってもおかしくはない。
ここにきてやっと藤原鎌足と会津藩士という2つで京都との繋がりができた。それなら私の中に京都人の血が流れていてもおかしくはないことになる。
それがどうした、ということだが、今日はお盆の15日。あまりの猛暑でまともなことに頭がいかないのと、つい先祖のことに思いを馳せた夏の世の夢とでも思っていただきたい。
いや、きっかけは汗で、先日、先祖の墓掃除に津山まで行ってきたが、家を出るまでに一汗かき、墓掃除が終わり、お参りをした頃には熱中症で倒れるのではないかと思った程だった。
念の為ボトルにポカリスェットを入れて持って行ったが、墓掃除が終わった時には息も絶え絶えというのは多少大袈裟に近いかもしれないが、頭はクラクラするし体は汗だくで、車内に入りエアコンをガンガンかけて、ボトルのポカリスェットをあおるように飲んだ。
それだけでも不安でお供えに持って行った塩の残りを舐め、そこまでしてやっと少し落ち着いた。
問題なのは汗のかき方である。今風に言えば「はんぱない汗」で、下着はびっしょり濡れ、絞れば水が滴り落ちる程である。胸から汗が流れ落ちてくるのが感じられるし、脇の汗がポトリと落ちてくる。そして、それらは腰の辺りに溜まるからジーンズのベルト周辺が水に濡れたようになり気持ちが悪い。
だが、不思議なことに顔には汗をほとんどかかない。胸から腹にかけては汗が洪水のように流れているというのにだ。
顔にびっしょり汗をかく人がいるが、そういう顔を見るといかにも暑そうで、見苦しい。顔に汗をかかない人は涼しく見える。
ここで京都人との関係が出てくる。そう、京都の女性は顔に汗をかかないのだ。生粋の京都人が顔に汗をかかないのかどうかは知らないが、少なくとも京都の女性、舞妓さんや芸妓さんは顔に汗をかかないように努力しているらしい。
これはもうメディアなどでもよく取り上げられているからご存知の方も多いだろうが、舞妓さんの帯は通常より少し上の位置で締められている。そうすることで締めた位置より上の部分では汗をかかなくなるのだ。「汗を肩甲骨の間に集める」と言っていた芸妓さんもいた。
男性の場合はどうしているのかは分からないが、相手に暑さを感じさせない配慮をしてきた結果、涼しい顔ができるようになってきたのかもしれない。
そういえば学生時代に友人が「夏は暑いから言うて皆ラクな格好をするけど、逆に夏、半袖にネクタイをピシッと締めてみい。相手は涼しく感じるやろ。それがオシャレっちゅうもんやで」と言っていた。
現在の日本人にそういう感覚はなくなってしまった。クールビズなんてしょうもないものを流行らせた女性がいるものだから日本の政治家は襟元がだらしない。外国の要人と会談したり並んで写真撮影している時でも日本の政治家のみノーネクタイだ。礼装という考えはもうなくなったのだろう。
ついでに「襟を正す」ということも忘れてしまったようだ。正すべき襟は最初から開いているのだから、正そうにも正せない。だから「反省する」とか「責任は私にある」「緊張感をもって」という言葉も中身のない空虚な言葉だけで終わってしまう。
とまあ、私と京都人との関係も中身のない空虚な話だけで終わってしまったが、熱中症一歩手前の朦朧とした頭を過った夏の戯言ということでご容赦を。
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