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地名が面白い
西播磨に「月」の付く地名が多いのはなぜ(1)



栗野的視点(No.740)                              2021年6月22日
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地名が面白い〜西播磨に「月」の付く地名が多いのはなぜ(1)
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願いを込めて付けられた地名は多い

 地名は面白いーー。その土地の成り立ちなど色々なことを語ってくれる。例えば私が住んでいる地域は「長住(ながずみ)」と言うが、戦後に名付けられた比較的新しい地名だ。
 随所に旧陸軍駐屯地跡の石碑が残っていることからも分かるように、一帯は小高い山、丘陵地だった。そこを開墾して住宅地に変えたのだが、開墾を主導したのは、戦後、南方戦線から復員してきた兵士達。「お国のために戦ってきたのに帰国すれば住む場所もなくなっている」と市に交渉して、山を開墾して住む権利を得たとフィリピン戦線から帰国し、この地の開墾を主導した旧軍人の一人から聞いたことがある。
 ここを永住の地にしたい、皆が安心して長く住めるように街を整備しようという願いが「長住」という地名に込められたのだが、そのことを知る人が今どれぐらいいるだろうか。

 私が四国松山で学生生活の第一歩を始めたのは4畳半一間の下宿だったが、住所は「平和通り」となっていた。
 この地名を見て、平和な街なんだと思う人はよほどのお人好し(というのは言い過ぎか)かもしれない。私が入学する1、2年前に、ここは暴力団が猟銃で撃ち合った物騒な街だったが、事件後、悪いイメージを一掃するべく、新町名を住民から公募して「平和通り」と新たに名付けられた。今後は平和な街になりますようにという住民の願いを反映したものだ。地名に「平和」と付く場所の全てとは言わないが、このような願望から付けられたものが多い。

山奥の地になぜ「海」

 私の故郷、美作(みまさか)地方は岡山県と鳥取県、兵庫県境の山の中だが、古くから美作国(みまさかのくに)として知られ、鳥取と姫路を結ぶ因幡街道の道筋に当たり、江戸時代の参勤交代で鳥取藩が通った街道としても知られている。
 それよりさらに遡って南北朝時代、後醍醐天皇が隠岐の島に配流になった折、児島高徳が後醍醐天皇奪還を計画し果たせなかった杉坂峠は今、岡山県と兵庫県を分けている峠だ。
 その近くに「南海」という部落がある。「南海」と書いて「なんがい」と読むのだが、かねて不思議に思っていた。海などどこにもない山の上の方の地に、なぜ「海」の字が付くのだと。
 その近隣に「日指(ひさし)」という部落がある。これは察しが付く。山の上の方で日当たりもよく、日が早く指すから日指と付いたのだろう。

 分からないのは「南海」だ。いくら山の上の方の部落とは言え、そこから瀬戸内海も鳥取側の日本海も望めるはずがない。
 では、海とは大きな湖沼か河のことかと思ってみたが、中国ならいざ知らず、日本の、山の上に海と間違えるほど大きな湖沼も河もない。
 そんな疑問をずっと抱えていたが、最近、その辺りは貝殻がよく発見されているという話を耳にした。古代、その辺りは海か海岸だったのだ。それが隆起して今の形になったに違いない。
 これで「南海」地名の疑問が完全に解けたわけではないが、少し合点がいった。
                                    (2)に続く



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