栗野的視点(No.810) 2023年10月20日
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各社が力を入れているモーニングサービス
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今朝も午前3時30分に目が覚め、そのまま起きた。昨夜、寝たのは10時前だから6時間ぐらいは睡眠していることになるから、まあ睡眠不足ではない。
そのまま洗顔し、タブレットのスイッチを入れ、週末旅行先のホテル探しに時間を費やしていた。来週末には帰省し、12月下旬まで岡山県北東部の実家に滞在し、2か月近く一人で自分の好きなように時間を楽しむわけで、その密かな楽しみを許してくれる彼女へのプレゼントみたいなものと言った方がいいか。
ノンビリ生きたい−−。最近、そういう思いが強くなっている。言うなら「お茶にしますか、コーヒーを淹れますか」と確認を求められるより「あなたお茶が入りましたよ」と、そっと置いてくれる相手の方が心地いい。そういう思いは昔からあったが、歳と共にますます強くなってきた。返事は「うん」だけで分かり合え、そこに余分な言葉は介在しない。
この頃なんでもアメリカ流で、言葉で表現し感謝の気持ちを伝えなければダメと言われるが、「古い」「時代遅れ」と言われようと、小津安二郎の映画に見るような静かな時間が好きだ。
こうした傾向は10代の頃から多少あった。19歳の時に読んだ本、記憶が定かではないが恐らくサマーセット・モームの「人間の絆」ではないかと思うが、違っているかもしれない。
大阪難波の高島屋デパートの書籍売り場で文庫本を手に取った。4冊ぐらい同じ題名の本が並んでいたが、あまり考えずにそのうちの1冊を買ったのだが、4巻シリーズの4巻目だったと気付いたのは読み終わった後。
なんともバカな話だが、最後の巻を読んだから残りというか先の3巻を買うのはやめた。
まあそれはどうでもいいが、最終巻の最後のページに書かれていたシーンがとても印象的(私にとって)で、いたく同意したことを覚えている。
若い男女が手を繋ぎ草原を歩いて行くシーンで、前に広がる景色、恐らく2人の未来を暗示させる場面なのだろうが、その景色を見ながら主人公は、ここで彼女が何か言葉を発して、この場の雰囲気を乱さなければいいが、と思う。そしてその通りに彼女は何も言葉を発せず彼と(おそらく)同じ気持ちで景色を見ていた。
まあ平たく言えば、目の前の景色を見て、あれこれとベラベラ喋ったり、2人の将来のことを声高く喋ってせっかくの雰囲気を壊さないで欲しい。話すならせめて「素敵な景色ね」ぐらいにして欲しい。それに対して「そうだね」と返す。そう、小津安二郎が描く世界と相通じるものがあり、そこには静かで穏やかな時間が流れている。そんな演技をするのに笠智衆はピッタリだった。
効率ばかりを重視する現代では望むべくもないし、どこを探しても見当たりそうもないが、「時間泥棒」に追われる現代だからこそ、ゆっくりとした時間、立ち止まって考える時間が必要ではないかと少女「モモ」は言う。
(2)に続く
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