悲惨すぎる鳥取の飢え殺し
さらに悲惨だったのは後に「鳥取の飢(かつ)え殺し」と言われた鳥取城の兵糧攻めだ。城内には元々備蓄米が少なかった。鳥取城守備のため入城した吉川経家はそのことに驚き、城下を含め周辺から米穀を集めようとしたが、すでに周辺の農家、商人の蔵にも米はなかった。秀吉が早くから手を回し、鳥取一円の米穀を高値で買いしめていたからだ。
本来ならこの時点で勝負はあったようなものだが、秀吉は鳥取城を広く包囲した上、城下の農民、町民の逃げ道を塞ぎ、城内に逃げ込むように追い込んでいったから、それでなくても備蓄米が少なかった鳥取城の兵糧はあっという間に尽きてしまった。
資料を読めば読むほど、人間は飢えるとここまで落ちるかと背筋が寒くなり、その悲惨さを思うと、この項を書いていても落涙が止まらない。
「信長公記」に次のような記述がある。
「雑兵悉く柵際まで罷り出で木草の葉を取り、中にも稲かぶを上々の食物とし、後には是れも事尽き候て、牛馬をくらひ霜露にうたれ弱き者は餓死際限なし。餓鬼の如く痩せ衰へたる男女、柵際へ寄り悶え焦がれ引き出だし、扶(たす)け候へと、さけび、叫喚の悲しみ哀れなる有様、目も当てられず。鉄砲を以て打ち倒し候へば片息したる其の者を、人集まり刃物を手々に持って続節を離ち、実取り候へき。身の内にても取り分け、頭能(こうべ、よ)きあぢはひありと相見へて、頸をこなたかなたへ奪ひ取り逃げ候へき」
城内の食物が底をつくと草木まで食べたが、中でも美味しかったのが稲の刈株だというから、あまりにも悲惨。あまりにも悲しい。
やがてそれもなくなると牛馬を殺して食べるも皆に行き渡るはずもなく、痩せ衰えた男女が秀吉軍が作った柵の側まで近寄り助けてくれと叫ぶ様は目も当てられない程哀れだった。
柵に近寄った人間を鉄砲で撃ち倒すと、まだ生き絶え絶えながら死んでいない者に人々が刃物を手に集まり、関節から骨を外し肉を取り分ける有様。頭が美味しいと見え皆が奪い合っていたという。
「信長公記」は信長サイドの資料である。当然そこに書かれていることは信長寄りだ。にもかかわらず、ここまで書き記しているということは、実際にはもっと悲惨な状態だったに違いない。そう思うと背筋が凍ってくる。
「次第に兵糧つきぬれば或は牛馬を食とし、或は人を服す。獄卒あしららせつ(阿修羅羅刹)の呵責もかくこそと目もあてられぬ」(吉川経安の「置文」)
「鳥府志」には次のような記述も見える。
「吾子ノ死タルヲ人ニ隠シ、尻ノ下ニ敷居テムシリ食ケル」
生者が死者の肉を、傷病者を殺し、その肉を食い、親が我が子の死を隠し、密かにその肉を食うという目を覆うばかりの地獄の有様が描写されている。
将兵ならまだしも、農民、町人など非戦闘員を城内に追い込み、ここまでの地獄絵図を現出させた秀吉の行為を「出世物語」で隠し、彼の光の部分のみを殊更に強調する美談は一方の真実を覆い隠し、後世の人間に歪んだ歴史を伝えることにほかならない。
スターリンの5カ年計画、毛沢東の大躍進政策での餓死者数、プーチンがウクライナで行っていることも変わりはない。歴史に学ばなければ同じことが何度も、恐らく人類が存在する限り繰り返されるだろう。
余談だが以前、鳥取市が市のマスコットを公募し「かつ枝さん」が採用されたことがあった。ところが一部市民から「かつ枝さん」の容貌が暗く、市のマスコット人形にはふさわしくないという意見が市に寄せられ、鳥取市は一度マスコットとして採用したにも関わらずお蔵入りにしてしまった。
当時は、今でもそうだが市のマスコットは明るいだけで、何を訴えたいのかよく分からないものが多い。そうした中で「かつ枝さん」は主張がはっきりしていた。
鳥取城の落城は知っていても「飢え殺し」の事実を知らない人も多かったのではないだろうか。そういう人達に対し「かつ枝さん」は秀吉の兵糧攻めがいかに悲惨なものであったかという事実を知らせる、いいきっかけになったのではないだろうか。
「かつ枝さん」から鳥取飢え殺しを知り、鳥取の歴史に興味を持ち、鳥取のことをもっと知りたいと考える人達が増えたのではないか。砂丘とカニでもいいが、もっと鳥取を知ってもらう「鳥取深発見の旅」の提案もできたのではないかと思うが市にそうした発想はなかったようだ。
(4)へ続く
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