老々介護と施設選びの経験から見えたこと(1)
〜老々介護の危険性は共倒れ


栗野的視点(No.679)                   2020年4月3日
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老々介護と施設選びの経験から見えたこと
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 今年も桜の季節がやってきた−−。華やぎ、楽しい季節だが、旅立ち、別れの季節でもある。特に私は妻が4月に、弟が5月、そして母が4年前の3月と、皆桜の季節に旅立ったから、この季節は別れの思い出とともにある。

生活環境は変えない方がいいが

 年老いてから住む環境を変えてはいけない、とは分かっていた。分かっていたというのは知識でという意味で、本当のところで分かっていたわけではない。それは、その後私自身が「してはいけない」ことをしてしまったからである。

 20年近く前になるが、子供の頃よくお菓子を買っていた駄菓子屋さんのおばあさんが京都に住んでいる息子の所に転居した。歳は90歳近くになっていたのだろうか、息子にしてみれば老母の独り暮らしを心配してのことなのは間違いない。
 その話を聞いた時、年老いてから住む環境を移すとほぼ1年以内に亡くなると言われているのに、と思った。そして1年が過ぎた頃、そのおばあさんが亡くなられたと知り、やっぱり、と思ったものだ。
 その頃、息子さんは定年を迎えていたか、定年間際だったかだと思う。親を自分の所に連れて来るのではなく、子が親の側に移住した方がいいだろうに。そんなことを漠然と思ったりもしたが、冷静に考えれば息子には息子の生活があり、彼の家族がいる。家族にとっては京都の家が自分達の家で、彼の奥さんや子供達にしてみれば田舎の家は「おばあちゃんの家」という以上の思い入れはないだろう。
 それは彼にしても同じで、ただ生まれ育ったというだけの地に戻って生活するという選択肢はなかったことはよく分かる。

 そして実際その場になると、私自身が同じことをしてしまい、同じ結果を招いた。そう、母を住み慣れた環境から福岡に移し、福岡のグループホームに入所させ、結果、1年で旅立たせてしまった。
 もし、そのまま母が生まれ育った地に置いておけば、と思わぬこともなかった。その場合は私が故郷に戻り、母の側で生活することになるが、その決心が今一つつかなかったのだ。まだ働き盛りの頃は田舎で生活するなどということは微塵も思いもしなかったが、この頃は田舎生活の方が合っているような気がし出しているだけに、あの時、思い切って居を移していたらとどうなっていただろうか。

老々介護の危険性は共倒れ

 それはさておき、本稿の目的は介護施設選びで私が感じたことである。
 親を、伴侶を施設に入れることを躊躇する人は少なからずいるだろうが、いまや老々介護が普通に見られるようになった時代である。
 親の面倒は子が、伴侶の面倒は自分がと考え、また実際にそうされている方もいるに違いない。特に男性の場合、ずっと仕事人間で妻には迷惑をかけてきた、今度は自分が妻の面倒を見る番という、ある種の贖罪意識も手伝った強い思いを抱き、家で伴侶の世話をしている人は多いようだ。

 しかし、その思いが危機を招く元になる。最初の内はまだいいかもしれないが、年々歳を取っていく。当然体力はそれに比例して衰える。よく言われるのが室内で躓き、転倒しての骨折。まさかと思うが、実際に私が住んでいるマンションの住人でも室内の転倒骨折で2か月入院した。転倒と言ってもドスンと転ぶわけでもない。多くが尻餅をつく程度の転倒だが、それで腰椎や手足の骨折をするのだから軽く見てはいけない。
 介護する側が怪我をしたり病気で入院すると被介護者はとたんに困る。その段階で介護施設への入居を考えても、どこも順番待ちでおいそれとは入れない。最悪の場合は共倒れという危険さえある。
 そうした事態を避けるためにも早めに少しずつ準備をしておくことが必要だろう。
                                            (2)に続く


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