増える「おひとり様」と高齢化社会(2)
〜自由気ままな生活だけではない


自由気ままな生活だけではない

 「おひとり様」という言葉が流行りはじめてから、1人での行動が随分楽になった、と感じている人は多いだろう。何も夫婦単位で行動しなくても、1人、あるいは同好の士と行動する方が余程精神的に楽かもしれない。こう言うと色々反論もあるだろうが、まあ「おひとり様」は 自由気ままで、気楽だということだ。これで金があればなおのことだろう。

 しかし世の中、そう甘くないというか、まだまだ保守的。「おひとり様」が自由気まま、気楽に生きていくにはまだ高いハードルがある。何かをしようとすると旧来の概念で「ノー」と言われることが多分にあるのだ。
 例えば入院・手術。実は先月あることで入院を余儀なくされ、その際に同意書類への署名、捺印を求められた。そこには本人の署名、捺印はもちろんだが、「親族又は理解補助者」の署名、捺印、さらには「本人との関係」も記入しなければならない。何かあった時の連絡先ということだろうが、そこには保証人という意味合いも含まれているようだ。

 母や弟が健在だった時は別段考えることもなく、どちらかの名前を記入していたが、2人共亡くなった現在はちょっと考えさせられた。パートナーがいても籍を入れてなければ親族にはならない。では「理解補助者」か。
 ところが、この「理解補助者」という言葉がよく分からない。理解者でも補助者でもない。状況を理解し、色々補助をしてくれる人のことなのか。補助とは補助具などのような身体的な支えのことか、それとも金銭的な補助まで含むのか。
 そんなことをあれこれ考えると、親兄弟子供がいないか疎遠になっている「おひとり様」が病気になった時は大変だということに気付かされた。
 幸い私の場合はパートナーと同居していたし、大阪に甥がいるから、いざという時には助かるが、入院程度のことで甥には頼みたくない。

 「理解補助者」という言葉の概念がよく分からなかったが、パートナーに署名、捺印をお願いした。「本人との関係」はどう書くのと問われたから「パートナー」でよかろうと答えた。たかだか入院手続き書類にそううるさいことは言わないだろうと考えてのことだが、これが中長期に渡る入院生活を余儀なくされたり、大手術になればどうなるか。しかも「おひとり様」だった場合はなどと考えると少し暗い気持ちになる。
 ホームレス支援団体の会報に「○月○日、△△さんを病院に連れて行き、入院させた」というような報告が載っていたのを思い出した。支援団体の理事長が「身元引受人」になり入院させたということなのかと今頃気付いた。

 実のところ、今まで健康だったからそんなことはついぞ考えもしなかった。むしろ独り暮らしの方がノンストレスで気楽だと、いまだに憧れているような始末。その一方で高齢になっての独り暮らしは自由気ままな「おひとり様」生活というわけにはいかないかも。となると、色々不満はあるが、それもお互い様だろうから、現状を感謝すべきかもと思い直したりもする。
                 (3)に続く


 


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