デル株式会社

 


 温故知新より温故「知親」


栗野的視点(No.781)                   2022年11月3日
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温故知新より温故「知親」
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 「歳だから」とは思いたくないが、最近、新しいことをしたり、人混みの中に出かけるのが段々億劫になっている。そういうこともあり、温故知新の「知新」はあまりないが、「知親」で旧交を温めている。まあ、そのこと自体がすでに歳かもしれないが、昔から年寄りの冷や水という言葉もある。若ぶっていろんなことにチャレンジするのもいいが、その結果、骨折したり筋肉疲労を起こせば元も子もない。無理をせず、歳相応にそこそこで行くのがいいと思っている。

 といって引き籠もっていると今度は認知症が心配になる。このところ時々頭痛がする。ただ激しい痛みではなく、風邪を引いた時などに感じる鈍い痛みだが、昔は頭痛などしたこともなかっただけに心配になり、近くの脳神経外科に行き脳のCTを撮ってもらった。
「問題ありませんね。健康体です」と医師。
「脳の萎縮はありませんか。認知症が心配なんですが」
「6年前に目の調子が悪いからと来られていますね」
「あっ、そうそう。あの時は閃輝暗点で眼科に行ったら脳の検査を勧められたのでした」
 以前の画像をディスプレーに出して見比べながら「萎縮は見られませんね。認知症の場合はこの辺りに隙間が出ますが、それもないから認知症の心配はありません」。
 自分では物忘れが増えていると感じていたが、取り敢えず少し安心した。

 やはり適当に刺激を与えているのがいいのかもしれない。適当な刺激というのは旅行で、今年はほぼ毎月のようにどこかに旅行している。といっても貧乏人故、豪華列車の旅や高級宿には縁がなく、半分撮影が目的の旅で、宿泊先も料金の割にはいいね、というコストパフォーマンス優先で宿を探し、泊まっている。

 つい先頃は島原に行った。宿泊も雲仙ではなく島原市内。目的は火張山花公園のコスモスの撮影だが、ここは2度目。前回行ったのは2年前で、その時の感動が大きかったから今年も行くかということになったのだが、もう1つの理由は前回、火張山花公園で地元のご婦人達が歌っていた「火張山音頭」のリズムと歌が耳に付き、今度は歌詞を全部覚え、ついでに踊りも覚えたい、と思っていた。いやいや、私ではなくパートナーが。

 そこに向かう途中、島原グリーンロードを走っていると、ある看板が目に付いた。看板には社名だけが表示されていたが、道路からすぐそれと分かる程の大きさだ。ん、と思い100m余り行き過ぎたがUターンして、看板の会社の前に車を止めた。
 普賢岳の火砕流がすぐ近くまで流れてきたと、言っていたから場所はこの辺りでほぼ間違いない。だが、どことなく入り口辺りの様子が違うような気がしたが、以前、訪れたのはもう15年程前だから記憶と違っていても不思議はない。
 工場に人影がなかったことに少し違和感を覚えはしたが、15年もすれば事業も変化するだろう。そう思いながら奥へはいって行くと民家らしきものが見えたのでチャイムを鳴らした。
 「Sさんですよね」
 どちらさんですかと言いながら顔を出した男性に、そう話しかけた。
 「昔、取材で福岡から3時間かけて来た栗野です。覚えてらっしゃらないですか」
 「栗野さん? さあ。取材って何の取材ですか」と怪訝な顔をする相手。
 「技術の取材ですよ。栗野という名にも記憶ありませんか。あまりどこにでもある名前ではありませんけど。福岡からわざわざ取材に来たんですよ。覚えてないかな〜」
 よく見ると私より少し歳が若そうにも見えたし、話が全く噛み合わないので、もしかする人違いだったかと思え出した。
 「この辺りでSと名の付く会社は他にありますか」
 「S〇〇がありますが、国道の方ですから少し方向が違います」
 「そうですか。どうも勘違いだったようです。変なのが急に来てお騒がせし、済みませんでした」

 島原まで来て挨拶もせず素通りはできないだろうと寄ってみたが、どうも会社が違ったようだ。でも名前はSさんで間違いないはず。なんとも腑に落ちなかったが他に調べる手立てもなく、福岡に帰って住所録か名刺を探せば分かるだろうと思い、そこから15分余り走って火張山に着いた。

 翌夕、帰宅後、名刺を探して見つけた。「袖触り合うも他生の縁」とまでは言わないが「多少」の縁ぐらいはあるだろうといつも思うから、一度会った人の名刺は取っているし、その後も付き合いがある人は住所録ソフトに登録している。
 名刺を探し出すのに苦労はなく、すぐ見つかったが、その段階で社名が違っていたことに気付いた。社長の名前のSさんは間違いなく、社名より本人の名前の方を覚えていたわけだ。

 勘違いで訪問した方のSさんには迷惑をおかけしたが、昔もらっていた名刺にはHPもメールアドレスも載ってなかったのでネットで社名を検索。
 そこで分かったのは有限会社から株式会社に変わり、昨年、社長を息子に譲ってS氏本人は代表権のない会長に就任していたこと。業務内容は大きく進化していた。複合旋盤加工に特化し、複合旋盤加工の保有設備では九州一を誇るほどになり、加工精度の高い同時加工と特殊形状の加工物を中心に行い、取引先の中心は半導体関連企業になっていた。
 社名さえしっかり記憶していれば、再度取材が出来たのにと後悔したが、取り敢えず会社の代表アドレス宛に、先日の経緯を書いたメールを送っておいた。

 その翌朝9時過ぎ、S氏から電話がかかってきた。今度は間違いなく記憶に残っていたようで、当時を懐かしみ話が弾んだ。「また来られる時は是非寄って下さい」。そう言われ携帯電話番号を告げられた。
 社名間違いの物忘れはあったが、ご本人の名前はしっかり覚えていたので物忘れも半分。この程度なら脳神経外科の医師から言われたように、認知症の心配はそうしなくてもいいかもと思いつつ、親しみを覚え、親しみを深める温故「知親」の旅を振り返った。


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