栗野的視点(No.734) 2021年5月9日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「コロナ」が変えた世界(X)〜格差拡大、能力低下を招くオンライン化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「新型コロナ」で一変した、という声をよく耳にする。一変したのは仕事だったり生活、経済、さらには日常の行動だったりと人それぞれだが、昨日まで見えていた景色が、ある日突然変わったという点で一致している。
いい方向に変わったのなら喜ばしいことだが、多くは好ましからざる方向のように感じられるーー。
オンライン化で格差が拡大する
最近、「オンライン」という言葉を頻繁に耳にする。まるで「オンライン」と唱えれば問題が解決される魔法の呪文のような言い方で、なんでもかんでもオンライン。
もちろんオンラインでできることはオンラインでやればいいし、ショッピングなどでは店頭に買いに行くよりオンラインで買った方が自宅まで配達してくれるなど便利なこともある。
だが、オンラインでできない仕事もあるし、オンラインだと逆に効率が落ちる仕事もある。環境によってオンラインの仕事がやりづらく出社して仕事をしたい人もいるだろう。
にもかかわらず政府は企業にオンライン化を一律に求める。しかし、オンラインで出来る仕事と出来ない仕事があることや、オンライン化する余裕がない中弱小企業も多く存在することを認識していないのだろうか。それともその事実に目を瞑っているのか。
それでもオンライン化を勧めるなら「自助」ではなく補助金を出すのが当然だろう。それもせず「感染防止のため」と称してオンラインを「強く」勧めるのは「欲しがりません勝つまでは」の戦時下スローガンと同じことだ。
これは小中高校生や大学生でも同じで、誰でもがオンライン授業を受け入れられる環境にあるわけではない。義務教育の生徒にはタブレット端末は貸与するといっても接続回線の問題がある。
どこの家庭でも光回線を導入しWiFi接続しているわけではない。携帯電話会社と契約してスマートフォンは使っていても、固定回線の契約をしていない家庭や個人は増えているし、携帯電話も家族で契約ギガ数をシェアしながら使っている家庭も結構ある。
要は誰も彼もが回線に接続しっぱなし、使い放題の状態にあるわけではなく、それができるのは家計に余裕がある家庭や個人でしかない。
「オンライン、リモートオフィスを」と気軽に言うが、企業の場合はまだしも高校生、大学生は家庭環境によって可能な子供と、それがムリな子供がいる。それでなくても1年以上続くコロナ禍で親の収入も不安定になっている。
オンラインが格差を拡大する、ということに少しは思いを至らすべきだろう。
スマートフォンに支配された国
上記のことを抜きに考えれば、オンラインはたしかに便利である。人を距離と時間の束縛から解放した画期的なツールであり、様々な利便性を人類にもたらした。
しかし、得るものがあれば必ず失うものがあるのも事実で、オンライン化により人は想像力を低下させ、想像力の低下は思考力、コミュニケーション力の低下を招いていることが先頃実証された。
デジタルは検索に大きな威力を発揮するから、デジタル世代は辞書を買わないし持たない。昔は中学、高校の入学祝に各種辞書を贈ったものだが、それが電子辞書になり、今や辞書そのものが不要になってしまった。
紙の辞書であれ電子辞書であれ、辞書という形のものが必要とされなくなっている。といっても辞書という機能が不要になったわけではなく、機能はインターネット上の「検索」に置き換えられ、分厚い紙の辞書も電子辞書もスマートフォン(スマホ)に置き換えられていった。スマホさえあれば調べたい語句や事柄はどこにいても速やかに表示されるからだ。
しかし、それは一方で厄介な問題を生み出しもした。2014年度の「全国学力・学習状況調査」の結果から「スマホの使用時間が長いほど得点が下がる」という傾向が明らかになっている。
この調査は小学6年生、中学3年生を対象に実施されたが、各学年、各教科全てにおいて「得点が下がる」傾向が顕著に表れていた。
スマホ弊害はすでに7年前から言われていたわけだが、ドイツの若き哲学者、マルクス・ガブリエル氏は2012年頃に初めて日本を訪れた時の印象を「この国はサイバー独裁だ。全ての人が完全にスマホに支配され、行動を統制されている」と著書で記している。
このようにすでに7、8年も前から日本人のスマホ依存症が指摘されていたが、その傾向は弱まるどころかますます強まっている。今では電車やバス、地下鉄の中ではほぼ全員がスマホの画面を眺めており、新聞や本を読んでいる人を見つけるのは難しいだろう。それぐらいこの国の人々はスマホに支配されている。
(2)に続く
|