Google

 


小沢一郎、もう一つの顔に注目を(1)
〜壊し屋の本領発揮


 7月2日、小沢一郎氏を含む議員50人が民主党を離党した。
私は前号(No.416)でも書いたが、小沢氏の離党は「98%ない」と考えていた。予測が外れたことをまずもって率直にお詫びしておきたい。
 なぜ私が、小沢氏の離党なしと読んだかといえば、民主党政権下で無役になって以降の小沢氏を見ていて、過去の「ブランド」だけで生きる安易な道を選んでいるように見えたからだ。「伝家の宝刀は抜かないから威力がある」ということを熟知しているのだろう、彼は離党を臭わせながら(伝家の宝刀を見せるだけで)、肝心な局面で反対票を投じるのではなく棄権をしてきた(伝家の宝刀に手をかける仕草もしなかった)。

 菅内閣不信任決議の時がそうだ。グループ所属議員を焚き付けながら、直前で自らは雲隠れしたのだ。これは敵前逃亡である。大将が敵前逃亡した組織は瓦解する。そのことは過去の歴史に明らかだ。大阪城をいち早く抜け出し江戸に逃げ帰った徳川慶喜しかり。政界では2000年11月の「加藤の乱」が記憶に新しい。第2次森内閣打倒(森降ろし)を画策した加藤紘一氏だったが、計画がいち早く漏れ、結局棄権。それでも加藤紘一氏は森内閣不信任票を投じに行こうとしたが、その加藤氏を掴んで必死に慰留したのが現在の自民党総裁谷垣禎一氏だ。その程度の男に政権は奪取できない。

 もし今回も小沢氏が棄権戦術をとるなら、彼の主張していることは偽物だと思っていた。少なくとも政治屋ではなく政治家なら、例え負けると分かっていても戦わなければいけないことがある。特にそれが理念、主義に関することなら。

 話はちょっと逸れるが、大型商業施設などでオープン後苦戦する所がよくある。それらの施設にはあることが共通している。当初予定した核テナントの入居がダメになったりで、当初のコンセプトとは違う形でオープンしているのだ。
 社会は生き物なので予定通りにいかないことは多々ある。ただ、その場合はコンセプトをもう一度練り直すか、当初のコンセプトとあまり違わないテナントの誘致を心掛けるべきである。それを穴埋め的に、とにかく誘致できる所を持ってくるから当初のコンセプトと違う施設ができあがり、やがてダメになる。こうした施設は多い。

 政治家で言えば理念に関する部分で妥協したり、譲ってはならないのだ。それさえも妥協してしまえば、あらゆる誹りを受けても仕方がない。
 小沢一郎氏にとってはそれが今回だった。それでも離党の決断が数日遅れた。こういうことは一気呵成に行うべきだろう。特に劣勢の場合は。戦術ミスなのか、それとも小沢氏が弱気になっているのか。

壊し屋の本領発揮

 小沢一郎ほど嫌われている政治家はいないようだが、嫌う理由でよく言われるのが「壊し屋」。今回の離党・新党結成の動きでも「今までも作っては壊しているから、今回も全く期待できない」という声が市井にも多い。
 たしかに彼は自民党離党後、新生党、新進党、自由党と次々に新党を作り、その後、民主党に合流。そして今回の離党だから、まさに「壊し屋」の本領発揮である。しかし、だからといって嫌われたり、非難されるのはおかしい。
 合従連衡は政治の常だし、民主主義は多数決で決まるから、仮に自分が作った組織でも思い通りになるとは限らない。自分が目指したものと組織が目指しているものが乖離してくることは一般企業においてもよくあることで、その場合に採る方法は2つしかない。妥協して大勢に従うか、自分の主義主張を通すか。後者の場合は新しい組織を作るしかない。

 組織を何度も作っているからと非難するのは筋違いだろう。党の数ではなく政策の内容を問題にすべきだ。
 この点でこの国の民とマスメディアは間違っている。
前号でも批判したがマスメディアは「小沢一郎」のイメージを作り上げ、今度はそのイメージに基づき彼を批判する。こういうマッチポンプ式のやり方は少なくともまっとうなジャーナリズムが採るべき方法ではない。また、そうしたやり方をしても何も生まれない。

小沢叩きこそが政治を停滞させる

 政局ではなく、政策を論じるべきだ。今回の件で言えば、消費税増税に反対票を投じた個々の議員の意見を紹介し、なぜ彼らがそうしたのか。その背景、根拠にこそ多くの紙面・時間を割くべきで、反対が何票か、離党者が何人出るかの方ではない。
 例えば「孫、子のために、将来にツケを残さないために」消費税増税は必要と言う人がいる。消費増税には大半の人が反対しているが、その一方で「いずれは必要になる」と考えている人が多いのも事実だ。問題は本当にこの時期、デフレ不況下の時期に消費増税が必要なのか、ということだ。
 仮に増税するにしても、その前に徹底的に経費削減を図れ、というのは当然だ。

 この国には寛容な人達が多くて、「長いものには巻かれろ」で、東京電力の電力値上げの問題にしてもそこそこの追求で、結局諦めてしまう。
 それは一つには電力供給という生命線を東電に握られているからであり、「停電になってもいいんですか」という脅しに弱く、いとも簡単に屈してしまう。これは他の地域でも皆同じ。九州では九州電力の力は絶大・絶対で、物言えるマスメディアなどは皆無だ。
                                               (2)に続く


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る