そもそも「宗教をビジネス化」しているのは当の仏教界の方ではないか。相手を見て戒名代を決めるようなやり方などはとても「宗教行為」とは思えず、葬儀ビジネスそのもの。昔から「坊主丸儲け」と揶揄されることが多いが、あながち的外れではないだろう。
原点に立ち返り、宗教とは何か、宗教が果たす役割とは何かを当の寺・僧侶自身が真摯に考えなければ、仏教離れ、寺離れはますます進み、寺の存在意義そのものが問われることになる・・・。いや、すでに問われている。
なぜ、仏教は庶民の生活と離れ、人々の支持を失ったのか。その原因は檀家制度と、住職の世襲制度、さらにハードとソフトの結合にあると私は考えている。ハード、つまり寺と不動産と、ソフトである宗教が巧妙に結び付き、甘えの体質を生んでいるのではないか。
この際、ハードとソフトを分離し、僧侶を不動産である寺と切り離し、僧侶は純粋に仏の教えを説く者と位置づけてはどうか。寺というハードと分離されるわけだから当然、住職の世襲制はなくなり、僧侶は任地先に赴くという形になる。
早い話、寺と僧侶を取り巻く環境を一変しない限り、宗教としての仏教はこの国から消え、歴史に名を留めるだけのものになるだろう。
宗教の原点に立ち返ったローマ教皇
日本の仏教界が内向きの対応に終始しているのとは反対に、キリスト教、中でもカトリックの総本山バチカンは2013年3月にフランシスコ新教皇を迎えて以降、弱者救済と世界平和へのメッセージを発信し続けている。もちろん歴代教皇も平和へのメッセージを発信してきたが、フランシスコ教皇はさらに発信力を強めている。
教皇就任後の発言を聞いていれば、フランシスコ教皇がいかに弱者、貧者に寄り添っているのか分かる。それと同時に宗教とは何かを問い、聖職者はどうあるべきか、なにをなすべきかを問いかけているように見える。
以下にフランシスコ教皇のここ数年の発言と行動を紹介してみよう。
・人は利益や消費の幻想の犠牲に、つまり『使い捨て文化』の犠牲になっています。コンピューターが壊れたら悲劇ですが、多くの人の貧困や欠乏や窮状は正常化するでしょう。
・カネは(人間に)奉仕すべきであり、(人間を)支配してはならない。
・市場の独立と金融投機の自由を絶対視する考えから貧富の格差拡大が生まれた。
・司祭や修道女が、最新のモデルの車に乗っているのを見ると気分が悪くなる。
最新のスマートフォンやスピードの出るスクーター、注目を集める車を所有することから真の喜びは生まれない。車は仕事に必要だが、買うなら質素なものにしなさい。世界中で、どれだけの子どもが飢えで死んでいるかを考えなさい。
(フランシスコ教皇はバチカン内の移動に古いフォードの大衆車を利用している)
・フランシスコ教皇は教皇に用意されていた教皇宮殿に住むことを拒否し、聖マルタ宿泊所に他の人々といっしょに住み、そこで働く司祭や訪問者と共に食事をしている。
・ローマ教皇庁は2015年2月、サンピエトロ広場にホームレスのためのシャワー施設を開設し、シャワー利用者には着替えの下着、タオルなどの入った「身だしなみセット」袋を提供しているし、散髪と髭剃りも提供し始めた。
誤解なきよう断っておくが、私はキリスト教徒でも仏教徒でも、ましてや反仏教徒でもない。しかし、フランシスコ教皇の行動、特に貧者やホームレス支援の態度や行動を見聞きすると、これこそ宗教の果たすべき役割だろうと考える。
それに比べて日本の仏教はどうか。弱者や貧者へ救いの手を差し伸べているだろうか。恐らく即座に「イエス」と言える人はそう多くはないのではないか。
例えば緩和ケアを中心とした終末期医療を行うホスピス病院、例えばホームレス支援組織。これらはキリスト教系、仏教系のどちらが多いか。言うまでもないかもしれないがキリスト教系である。
ホスピスが生まれた歴史的な経緯も関係しているだろうが、日本国内だけを見ても、最初のホスピス・ケアを提供する病室が生まれたのは1973年。大阪の淀川キリスト教病院内である。独立したホスピス病棟は1981年、聖隷三方原病院(浜松市)にできたのが日本最初である。ともにキリスト教系だ。
対して仏教系のホスピスは新潟県長岡西病院にできたビハーラ病棟が最初で1993年。キリスト教系に遅れること20年後である。
この差は一体どこにあるのだろうか。両者の立ち位置の差にある(あった)のかもしれない。「葬式仏教」と揶揄されるように葬儀という儀式と強く結び付いてきた日本仏教と、より信仰色の強いキリスト教の違いとは思いたくないが、日本仏教があまりにも葬儀と結び付けてとらえられていたことと無関係ではないだろう。病院−僧侶−葬儀という図式は皮肉以外の何物でもない。仏教本来の死生観を説くことよりも世俗的「ビジネス」に力を入れ、そこに収益を見出してきたのはほかならぬ彼ら自身なのだから。
(3)に続く
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