視聴率の罠とメディアの罪(1)


騒動の理由がよく分からない

 なにかよく分からない騒動だった。全聾と言われていた作曲家、佐村河内守氏の曲に関する一連の騒動のことである。
 よく分からないのは騒動の背景と、メディアの取り上げ方である。メディアが問題視している点がピンと来ず、最初の時点では何が問題なのかが全くと言っていい程分からなかった。
 また自らが佐村河内氏のゴーストライターだったと明かした新垣隆氏の会見を聞いても何を問題にし、何を告発しているのかがいまひとつピンとこなかった。

 例えばゴーストライターの存在。これはどの業界でもあることだし、タレント本や芸能人の自伝などは多くがゴーストライターの手によるものだということはよく知られている。
 なかには自著の出版記念会見の時に「まだ読んでないからどういうことが書いてあるのか知らない」と悪びれもせず公然と言ってのけた有名な映画俳優(故人)もいたし、自著のほとんどがゴーストライターの手によるものという有名な評論家もいた。
 こうしたことは出版界に限らず多くの創作活動の中で、昔からよくある話で、レオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントの絵でも指摘されているし、工房やプロダクションを作り、分業・協業で作っているものも、ある部分では似ている。
 つまりゴーストライターの手によるものを自らの名前で世に出したのは間違いとは必ずしも言えないわけで、その点を捕らえて問題視するのは少し無理があるだろう。

 もし問題視することができるとすれば、本人の意志に反してゴーストライターにさせられた場合だ。この場合は相手を詐欺罪で訴え、著作権を主張できる。ところが、新垣隆氏は「著作権は放棄したい」「佐村河内氏との共作」と考えていると言っているから、意に反してゴーストライターの立場に甘んじていたわけではなさそうだ。それも18年という長期に渡っているわけだから。

 では、何が問題なのか。影の存在が表に出てきて告発する場合、金銭的なことが問題であることが多い。実際、「報酬は18年間で700万程度」という見出しを付け、報酬の少なさを強調していたメディアもあった。
 しかし、これもおかしな話だ。仕事は契約によるものだから、報酬が不本意なほど少なければ、その仕事を断れば済む話である。ましてや18年もの長きに渡っているわけだから、途中でいくらでも断ることはできたはずだ。
 報酬に関して新垣隆氏自身は一切問題にしていないから、報酬を巡る内輪もめ的なことから今回の告発に至ったわけではなさそうだ。

 こうなるとますます分からなくなる。一体、「告発」のきっかけは何なのか。
それらしき点に新垣隆氏がメディアとの質疑応答の中でいくつか触れているので、それを見てみよう。
 1つは佐村河内氏の耳が聞こえている可能性についてで、新垣氏は「初めて会った時から耳が聴こえないということを感じたことは一度もない」と言っている。
 では、それを彼が許せなかったのか。もしそうなら、早い段階でゴーストライターの役を断ればいいわけだから、どうもこれがきっかけとも思われない。
 次に佐村河内氏が書いた自伝に嘘があるという点。佐村河内氏と音楽との関わりの部分などはほとんど新垣氏のことで、それを佐村河内氏が自分のものと偽って脚色したのが許せなくて、今回の告発に至ったという見方。たしかにありうるかもしれないとは思うが、これも動機としては少し弱いような気がする。
                                              (2)に続く


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