まあ、これだけで結論を出すのは早すぎるだろう。では次の事実をどう考えるだろうか。
康弘氏は新会社の社長に就任するとともにHDの執行役員にもなったのである。さらに14年12月、新設の最高情報責任者(CIO)に就任。
繰り返すが、それまで右肩上がりの業績を上げてきたわけでもないのに、吸収合併された企業のトップにいきなり「抜擢」されたばかりか、その親会社の執行役員、最高情報責任者になったのだ。しかも最高情報責任者ポストは新設されたものだから、彼のために用意されたといってもいいだろう。
客観的に見て、これを親の七光りと言わない人がいるだろうか。恐らくいないだろう。
となれば、その先に見えるものは何か。どんなに鈴木氏本人が引退会見の席上で否定しようと、世襲を目論んだと勘ぐられるのは仕方ない。創業者でも大株主でもない、社員からのし上がった人物が世襲を目論んだとすれば一大事。創業者であり大株主の伊藤名誉会長が鈴木氏の人事案に賛成しなかったのは容易に想像がつく。
ご都合主義的な「資本と経営の分離」
鈴木氏が多弁に説明し、HDの顧問を務める後藤光男氏(81歳)と佐藤信武氏(77歳)の両古参幹部が補足説明をしようとも部外者にはなんとも理解できないセブンイレブンのトップ交代人事。鈴木氏の引退会見の内容もさることながら、説明会場に首を揃えた面々が揃ってお年寄りなのも奇異に映った。コンビニエンス業界は流通業の中では若い業態である。すでに1線を退いた人々ではなく、次世代を担う若い世代が居並んで説明するならまだしも、80歳前後のロートル達の説明では繰り言にしか聞こえず、ますます今回の引退劇の真相を見えなくしている。
それはそれとして鈴木氏の繰り言、いや失礼、説明で資本と経営の分離が言われている。井坂氏解任人事案の理由とは直接関係ないことであり、唐突な印象を拭えないが、これも先の「獅子身中の虫」発言同様、鈴木氏自身が納得できない個人的感情があったのだろう。以下、その部分を引用してみる。
「くどくなりますが、私は資本と経営の分離を言ってきました。今、伊藤家の資本そのものは全体の約10%で、そのこと自体は経営に大きく影響するようなものではありません。けれども私は小売業、なかんずくフランチャイズビジネスについて考えると、そのあたりをきちっとしておかないといけないと思っています。その見本を作ることが大きな使命だと思っていますし、何もそれはセブンイレブンだけの問題ではなく、日本のコンビニを総反対された中で作ってきたという私の使命からしても、資本と経営の分離をきちっとすることが、重要だという思いがあったからです」
納得。このこと自体に異論はない。その通りだと理解する。ただし、今回の騒動発端のセブンイレブン社長交代人事案否決の最後のトリガーが伊藤名誉会長の反対表明だったことを考え合わせると、その通りと一般論で頷くわけにはいかない。
資本と経営の分離の大原則に従い、オーナーは経営(今回の場合は人事案)に口を挟むな、と言っているように聞こえる。
とにかく、この人物、一言多いようだ。「お恥ずかしくて申し上げられない」とか「くどくなりますが」と断りながら、くどくど、ネチネチとよく語る。そのくせ肝心な人事案提出の理由についてはあやふやなまま語らないが。
早い話、会社を私物化したかったとしか思えない。でなければ社外取締役2人を加え4人で構成される「指名・報酬委員会」で5時間も議論し、賛成に至らなかった人事案を取締役会に再度提案するなどという強引な手法を取る理由が見当たらない。
俺が言うことに反対するはずがない、と考えていたのが案に相違して5時間も議論を尽くすことになり、最後は折れてくれるどころか、最後まで決着がつかず、挙句の果てには取締役会に強引に諮ったところ、ここでもよもやの否決。「ブルータス、お前もか」の心境だったのではないか。
「資本と経営の分離」という言葉をこのような形で使うべきではないだろう。むしろオーナーでもないのに、長期に渡って君臨し続けた自身の姿をこそ恥ずるべきだったのではないか。
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