栗野的視点(No.712) 2020年11月6日
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「Go toキャンペーン」より消費税の値下げを
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菅政権下で「Go to トラベル」が延長されそうだ。期間は未定だが、来年5月の大型連休までとか、来年夏の東京オリンピック・パラリンピックまでなどとする案も出ているとか。上限額や助成額の引き下げは検討されている模様だが、予算額は1兆円とか10兆円とか言われている。いずれにしろ数兆円の予算が必要なのは間違いない。
大盤振る舞いの後に来る増税
大判振る舞いはいいが、10月8日配信の”栗野的視点(No.709):「Go toキャンペーン」は喜ぶだけでいいのか。”でも指摘したが財源をどうするのかという問題がある。「打ち出の小槌」が存在しない以上、現実問題としてどこかで財源を確保しなければならないのは小学生でも分かることだ。
国債の発行なども検討されている模様だが、それは分かりやすく言えば国による借金である。借金(赤字国債)も一度か二度ぐらいまでなら応じてくれるだろうが、度重なれば「もう、あいつには貸せない」となるだろう。そうなると赤字国債すら発行できないという状態になる。
では赤字国債の発行もままならなくなるとどうなるか。「ピンはね」する以外にない。増税である。
「ピンはね」と増税の違いは取り上げる相手が見えるか見えにくいかである。ピンはねする相手が見えれば怒りをそこに向けられるが、見えにくければ対象先を絞りにくく、怒りを向けにくい。特に広く増税されているように見えれば、「自分だけでなく他の人も増税されているのだから」と納得に似た諦めの気持ちが湧いてくる。とくに日本人の場合は。
これは詐欺と同じで騙される側の自己納得の論理である。自分ひとりが騙されていると思うと腹が立つが、皆も騙されていたんだと思うと、その分怒りが薄められる。薄められるのは感情だけで、実際の被害額は変わらないのだが、自分だけが騙されたのではない、自分一人が損害を被ったわけではないと思い込むことで結果の責任を一人で背負い込まなくていいと思おうとする感情が働く。
これをうまく利用しようとしているのが時の権力であり、人々は自分だけが増税されているわけではないから、と納得してしまうのだ。
この感情が危険なのは責任の在り処を明確にしないからで、皮肉を交えて言えば「曖昧な日本人」だからと言える。白黒つけるのではなく灰色のまま問題をウヤムヤにして「まあまあ、そう言わずに、皆でやっていきましょう」という日本人的解決方法である。
このウヤムヤ解決方法は絶対的悪ではない。時にそれが効力を発揮することがあるが、それは時と場合による。
今春4月には「命を守ることを最優先する」と称して、突然、公立小中学校に休校処置を要請し、秋には「経済を守る」と「Go to トラベル」をはじめとした「Go to」が鳴り物入りで始められた。
それに呼応して各自治体でも「プレミアム商品券」やら「地域共通クーポン」やらの名前の買い物券を発行している。いずれも原資は税金であり、税収が少ない自治体などは今後どうするのかと不安になるが、そこにはほとんどどこも触れない。国から地方、メディアまで、皆大衆迎合主義、ポピュリズムで染まっている。それでも効果があればいいが、「Go to イート」に至ってはよく分からない。
(2)に続く
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