栗野的視点(No.738) 2021年6月5日
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「コロナ」が変えた社会(Z)〜世界はファッシズムに向かう
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ウイルスがこんなに怖いものだとは思わなかった。その感染力は想像をはるかに超え、人々に感染していった。なぜ、こうも容易く人々は感染していくのか。
そして、その先に待っているのは何か。我々の社会はどこに向かっているのかーー。
人はなぜ陰謀論に惹かれるのか
こうした現象は何も今回が初めてではないが、ここまで威力を持ち、勢力を拡大したのは今回が初めてであり、それだけにこのウイルスの蔓延は恐ろしい。
ウイルスは宿主に寄生して生きていくため、ウイルスと宿主は共生関係にあるとも言える。ウイルスにとって宿主は絶対必要な存在で、宿主が絶命すれば自らも絶命せざるを得ない。
だから一般的にはウイルスの毒性は宿主を絶滅させるほど強くはない。しかし、今回のウイルスは強力で、ある地域では宿主を2分させ、互いに闘わせているし、我が国でも一定の感染力を持って広がっている。
人はなぜ、このウイルスにいとも容易く感染するのか。その背景と今後に及ぼす影響について考えてみたい。
「人間は考える葦である」。フランスの哲学者パスカルは、人間は自然の中で最も弱い1本の葦に過ぎない、と言った。だが、それは「考える葦」だと。葦と人間の違いは思考するかどうかなのだ。
「反省するだけならサルでもできる」というCMが流行ったことがあるが、これは正確に言うと「反省している動作(ふり)」だけならサルでもできる(猿真似)ということであり、それは「反省」とは別物だ。
反省とは過去の行動を振り返り、改めるという思考(考える)が伴うからで、「考えるサル」は人間になれるが、「考えない人間」はサルと同じだろう。
しかし今、考えない人達が増えている。風の強さや風向きを見て、風になびき従っていたり、風に逆らっているように見えても、その実、別の意見に同調し、その強固な信者になっているだけの人が。
こうした傾向は何も昨日、今日現れたわけではない。なんども形を変えて現れている。「フリーメーソンの陰謀」だったり「宇宙人説」や「影の集団」、挙句の果てには「M資金」という言葉も日本では何度も囁かれては消えた。そのうち最も長かったのが「秘密結社」フリーメーソンだろう。
フリーメーソンは別に秘密結社ではなかったのだが、組織の実態が広く知られてなかったり、ベンジャミン・フランクリンやルーズベルト、トルーマン、マッカーサーなどがフリーメーソンの会員だったこともあり、世界の政治を影で操っているのは彼らだという「陰謀論」がまことしやかに囁かれた。そういえばロスチャイルド家もフリーメーソンと同じような位置づけで囁かれたことがあった。
これらは「エスタブリッシュメント」への反発から来る「陰謀論」で、確たる根拠(エビデンス)はないにもかかわらずというか、だからこそ一部の人達の間で信じられ、広がっていた。
なぜ、この種の話は広がるのか。1つには面白さがあり、次に説明の付けやすさがある。
人は論理的な話をあまり好まない。それよりはスパッと言ってくれる話の方に飛びつく。正しいかどうかではなく、分かりやすく感情に訴えるものの方を好む。
ドナルド・トランプ元米大統領の言動が支持されたのはまさしくこのためだ。「君たちの生活が苦しいのは移民が仕事を奪っているからだ。移民の流入を阻止しろ」「SARS-CoV-2なんか怖くない。マスクなんか着けなくていい」「選挙で勝ったのは私だ。民主党陣営は票を誤魔化している」
アジアやアフリカの独裁政権が使っているのと同じ言葉をアメリカの大統領が発し、議会議事堂へデモをかけるように支持者を煽ったわけで、つい先程、ミャンマーの軍事政権が選挙の不正を訴えてクーデターを起こし軍政を敷いたが、それと同じことがアメリカで起こりかけたのだから恐ろしい。
さらに恐ろしいのはアメリカ国内ではまだトランプの言うことを信じている人たちが結構いるということと、日本にも一定数いること。トランプ夫妻はちゃっかり早々とコロナワクチンを打っているというのに。
論理的な思考より感情に訴える話の方を好むのは日本人も同じか、それ以上で講談、浪曲で語られる勧善懲悪の話を好み、赤穂浪士の討ち入りの話をヤンヤの喝采で見ているのは今も昔も同じだ。私などは赤穂浪士の討ち入りは忠君話ではなくテロだと考えているが、そういう視点で描いたものは小説を含めてない。
(2)に続く
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