怯えは増幅し、同調圧力が強まる
時間(日数)の経過とともに人々は冷静さを取り戻し始め、対象や事態を冷静に見つめようとする動きが増してくる。もちろん、この段階でも根拠の薄い怯えと楽観視は残る。
いや、むしろ両方の動きはさらに力を増していく。怯えはどんどん強くなり、さらなる防御姿勢を強めていく。方向性を与えられたベクトルは決してジグザグに進んだり、ましてや後戻りすることはない。ひたすら進む。それも速度を増しながら。これは拡大であれ、膨張、収縮であれ同じだ。
今、怯えのベクトルに力を与えているのがTVを中心としたメディアである。ある医師はTVで「普通に呼吸をしていてウイルスが飛び散ることはない」と話していたし、これは「専門家」の間でもほぼ一致した見解のようだ。
ところが、別の医師は「ジョギングする時、前の人との距離を10m開けるように」とTVでアドバイスしていた。「飛沫が10m後ろに飛んで行く」からだと言う。
これはジョギングしている時にウイルスを飛び散らせるとどうなるかということの実験室(コンピューター上)でのシミュレーションであり、意識的に飛沫を飛ばす走りをしない限り、こういう状況は起こりにくい。
にもかかわらず、そういうシチュエーションを意図的に作り出し不安を煽っているわけで、およそ科学者の態度とは思えないが、こうしたことがTVで繰り返し流され、人々の不安を煽り、怯えのベクトルを増しているのは問題だろう。
特に酷いと感じるのがTVの情報番組で、ことさら人が集まっている場所を探し出し、それが海岸の釣り場だったり、商店街の歩行者だったり、ジョギング中の人達だったりするが、わざわざ探し出して放映し、「外出する人が減っている一方で、逆に多くの人が集まっている場所があります」とコメントしたりする。
そうした映像を見た人は眉をひそめるかもしれないし、「三蜜」でもない状態なのに何がそれほど問題なのかと思うかもしれない。
もう少し考える人は、映像のトリック(?)を疑うかもしれない。写真やビデオに詳しい人ならすぐ分かると思うが、望遠レンズの圧縮効果というやつである。ハリウッド映画などでよく見かける、爆発シーンから吹っ飛んで逃げたり、走って逃げる後ろから列車が迫って来るシーンをハラハラしながら観た経験があるだろう。実際は2者の距離が離れているにもかかわらず望遠レンズを使うことで両者の距離が圧縮され、近く見えるのだ。釣り場はいざ知らず、商店街で人が混み合っている状況は考えにくい。
怖いのはこうした情報発信である。一度ある方向(今回の場合は「自粛」)に向かい出したベクトルは決して途中で速度を緩めたり、立ち止まることをしない。もっと、もっと、というように、さらに先へ進んで行く。
TVは特に極端な映像を求めたがるだけに、視聴者側の冷静な判断が求められるが、そうした情報に引っ張られる形で「積極的に」動き出す者もいる。昔は「お先棒を担ぐ」と言ったが、この頃は「同調圧力」という言葉で表現されている。
「みんなが自粛しているのに、お前はなんだ。営業自粛しろ」というわけらしいが、背景にあるのは不安と怯え。その裏返しで「自分は要請に従い、我慢しているのに、それに従わない奴は許せない」という他者への怒りの行動となっている。
これは戦時中の隣組組織などで見られた行動と同じだが、権力に従順な人、強い者に従う傾向が強い人にほどよく見られ、自身の内に権力志向、権威主義的傾向を秘めている。
こうした傾向はあまり諸外国、特にヨーロッパでは目にすることが少ない(私が知らないだけかもしれない)が、近年、日本では強まっており、まるで戦時中に戻ったような錯覚さえ覚え、ファッシズムの台頭を懸念している。 (3)に続く
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