トヨタが米議会の公聴会をなんとか乗り切ったように見える。しかし、問題はむしろこれからだ。連邦大陪審での審査も控えており、こちらの方が問題だろう。
それにしてもなぜ、トヨタは問題をここまで大きくしたのか。そこにはいくつかの失敗があったように見える。
初期対応のミス
今回の問題で最初に感じたのはトヨタの対応のまずさである。別の言い方をすれば、最初の対応を間違ったが故に2次クレームにまでなったように思える。
企業である限りクレームをゼロにすることは難しい。重要なのはクレームをゼロにすることではなく、2次クレームを発生させないことだ。そのことは以前「クレーム客をファンに変えた旅館」でも書いた。(「栗野的視点」のバックナンバーを参照)
今回の問題の発端はアクセルペダルがフロアマットに引っかかって戻りにくくなる不具合である。この問題はすでに07年から起きており、同年には2車種をリコールしている。ところが、その後、09年8月にレクサスが突然暴走し、一家4人が死亡するという痛ましい事故が起き、全米で一気に問題がクローズアップした。
この間、トヨタは純正フロアマット以外を使用しないように、あるいはフロアマットの使い方の注意を呼び掛けている。
逆にいえば、その程度のことしかしてこなかったのである。結果、一家4人死亡事故の後、同年10月に約380万台をリコールすることになった。
これが最初のミスである。アクセルペダルとフロアマットの問題から2年もの時間がたっているのだ。もし、この間に徹底的・全面的に調査し、対策を取っていれば死亡事故は防げていたのではないか。
ところが、その間にトヨタが行ったことは8車種・約420万台を対象にペダル無償交換などの改修を行うという発表だった。
トヨタは事の重大性を認識していなかった。
ブレーキが効かず「暴走」=死に直結、という認識がなかった、あるいは薄かったといえる。
技術優先でユーザーの安心を後回し
では、トヨタ側はこの問題をどのように認識していたのか。
ユーザーの不適切な対応(純正フロアマットを使わないこと)から起きたもので、問題はユーザー側の不適切な使い方にあると考えていた。
だから当初、純正フロアマットの使用や、フロアマットの適切な使い方を「呼び掛けるだけ」で終えていたのだ。
これは取りも直さず「ユーザー責任論」である。
だから問題の徹底検査が遅れた。
これが第2のミスである。
しかも、その後今日に至るまで、トヨタは技術的な問題ではないと主張している。
これは製造業によく見られる主張である。
問題を技術的な側面からのみ考え、ユーザーの気持ちを考えない。
もちろん、問題が技術的なものなのか、ユーザーの不注意、不適切な使い方によるものなのかはきちんと検証しなければならない。
しかし、技術的なミスの問題ではないと主張する時に、ユーザーの視点が欠落していることがままあるのも事実だろう。
トヨタはブレーキの「効きが悪い」といわれ、それは技術的な問題ではなく、ブレーキの効きの感じ方の問題だと主張したが、この主張にユーザーの視点がないと感じたのは私だけではないだろう。
ブレーキが一瞬でも効かないように感じるのは恐怖である。
それは追突するかもしれないという恐怖であり、死と直結した恐怖である。
そうした心理をトヨタは理解していなかった。
もし、ユーザーの恐怖を理解していれば(ユーザーの視点に立っていれば)対応はもっと違ったものになっていたはずだ。
ユーザーの視点が欠如しがちなのは多くの製造業に共通して見られる点でもある。
弁明も技術的なことを優先したがり、ユーザーの恐怖だとか不快感は無視か、後回しにする傾向がある。
言葉を換えれば技術に対する過信、奢りからくる対応のミスである。
こうした技術信仰が隠蔽体質を生んだり、隠蔽体質と見られたりする。
今回のトヨタの場合もそれを指摘された。
(続く)
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