できることなら居住空間に入り内部の様子を垣間見ることができればと思ったが、それは認められず入口横の面会室で30分にみ許された。
車椅子で現れた彼はやつれた風はなく、まずは一安心した。彼には事前に伝えず、突然面会に行ったものだから驚き、また涙を流して喜んでくれた。
施設職員の話から息子の社長は何度か来たようで、それも少し安心したが「私は黙って聞いているだけです」という言い方から察すると、相変わらず会話はない風だ。着替えなど最低限必要なものを持参して短時間で帰っているのではないだろうか。
肝心のパートナーの方はどうか。彼は「来て欲しいんです」と訴えるが、入所時に来たきりのようだし、電話をかけても出ないらしい。
「老老介護で自分も倒れそうだと言っていた。1日になんども電話があり困っているとも。彼女は別れたがっているようだ」とは彼の長馴染みの弁。
「酷すぎるではないか」と私は憤ったが、彼にそのことは伝えられない。そんなパートナーのことを知ってか知らずか「運転できないから来るのが大変なのでしょう」と相手を思いやるから、なおのこと悲しくなった。
スマホの電話帳を見ても、そこには離れた所にいる娘の名前やパートナーの名前はあったが、息子の名前はなかった。要は自分の方から息子に電話することはないということだろうし、息子から電話が来ることもないということだろう。
「話ができる相手は編集長(彼の私に対する呼び名)だけです」
そう言ってまた涙を流し、喜んでくれたが、彼が置かれている境遇を思えばあまりにも悲しい。
母を福岡でグループホームに入所させた時、私は3日と空けずに面会に行ったし、行けば40-50分は部屋で話をして帰っていた。
その経験から話し相手が欲しいに違いないと思っているから「いつでも電話してきていいですからね」「6月中にまた面会に行きますから」と伝えると、今までは「いやー、忙しいでしょうからいいですよ」と言っていたのが、面会翌日にかかってきた電話では辞退の言葉はなく、代わりに「この間はありがとうございました。涙が出ました」と喜びの言葉を聞いた。
やはり人に会いたがっているし、人と話をしたがっていると思った。
気になったのは面会中に彼が言った次の言葉。
「私はここで死ぬんでしょうね」
そして1拍置いて「100まで生きようと思っていますから。そして皆を見届けたい」と笑った。
「皆を見届ける」という言葉の意味は不明だ。それぐらい長生きをするという意味なのか、厄介払いと思ってこんな所に入れたお前たちの最後がどうなるのか見届けたいという意味なのか。
だが多かれ少なかれ、今、老人ホームは現代版姥捨て山になっている。それぞれに事情はあるだろうが、「楢山節考」でも親を背負い、道すがら泣きながら山に入って行っている。生きるためには他の選択肢がないギリギリのところでの決断であり行動なのだ。
それに比べて現代の姥捨てはあまりにも情がなく、厄介払いのように思えて仕方がない。
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