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病院が怖い


 病院が好き、という人は少ないだろうが、私はいままでそれほど病院が嫌いというわけではなかったし、診察、検査を必要以上に嫌がったり、怖がったこともなかった。
 ところが、この1、2年、どうも病院(医療法では患者20人以上を収容するものを病院というが、ここでは医療機関全般を指して使っている)が好きになれない。いや、はっきり言うと病院が怖くなっている。だから、検査に行くのが非常に億劫で、なんとか行かなくても済む理由を考え、病院に行くのを1日延ばしにしてきた。
 なぜ、それほど病院が怖いのか。といっても、小さな子供ではないから病院という建物に恐れをなしているわけではない。中で行われる医療行為に怖さを感じだしたということだ。
 事の発端は胃の内視鏡検査である。内視鏡検査そのものはそれ以前にも胃・大腸で行っているから初めてではなかった。
以前と同じ病院だし、内視鏡検査はうまいという評判のところだったので、その時までは何の不安も感じていなかった。


 ところが、診察台に横になった後の記憶が欠落し、次に覚えているのは別のベッドで目覚めたことだった。検査中のことが全く思い出せないのだ。後で分かったのだが、鎮静剤を使用し、それで眠らされたようだ。眠らされている間に胃カメラの検査は終わり、後ほど医師から録画モニターを見ながら説明を受けたが、どうもすっきりしなかった。
 当初、私は麻酔を使われたのかと思い医師に抗議したが、麻酔ではなく鎮静剤ということだった。そういえば前回の大腸検査の時は治療中に検査医師が「鎮静剤が効いてない。もう1本打って」と言っていたのを思い出した。
この時は胃と大腸を続けて内視鏡検査をしたのと、大腸検査は初めてだったので、そんなものだと思っていた。
 その後、帰省中に母と内視鏡検査の話になった時、「私は先生と一緒にモニターを見ながら検査した」と母が言うのを聞いて疑問を持った。私の時とは違ったからだ。しかも母の検査の方が後である。
病院が違えばやり方は違う。そう感じた。


 どちらが安心だろうか。
人によるだろうが、私はリアルタイムでモニターを見ながら治療を行ってもらう方が安心である。
少なくとも医師の声は聞いておきたい。
後で結果だけ教えられても、治療中に何が行われたのかが分からない。
はっきり言うと、治療中に医療過誤があっても分からないわけだ。
以来、病院が怖くなった。
内視鏡検査に言い知れぬ恐怖を感じるようになったのだ。
不思議なもので、一度でも恐怖を感じると、足がすくんでもう前へ進めなくなる。小学生の時、跳び箱で失敗してから、以後何度やっても踏切板の前で止まってしまったことがあったが、あれに似ている。

 それから折に触れ、内視鏡検査をしたという人に尋ねてみた。
ある人は鎮静剤で眠っている間に終わってよかったと言い、ある人は事前に医師から2つの方法があるが、どちらでも好きな方を選択するように言われたと言い、ある人は「最近は鎮静剤を使うところが増えているが、私は患者さんと会話をしながらやるようにしているので鎮静剤は使わない。鎮静剤を使って眠っている間にやると楽だが、非常にまれだがミスがないとも限らない。その場合、患者さんに意識がないと状態が分からないからです」と説明を受けたと言う。


 今年になって、私は少し困っていた。
内視鏡検査をする必要性を感じているのだが、どこの病院に行けばいいのか決められなかったからだ。
従来の病院で検査するか、新しいところに行くか、の選択ができなかった。
それぞれに一長一短がある。
従来の病院に行く長所はカルテ(データ)が残っているから、過去との比較ができるし、医師とのコミュニケーションが取りやすいという点だ。
病院を替えると過去データとの比較ができないが、初めての相手を診るため、医師の側に基本通りに診ようという意識も働くだろうし、方法(視点)が違ったりで、従来の病院では発見されなかった病気が発見される可能性もある。
ただ、初めての病院は患者の側にデータがないから、医療技術の善し悪しを含め判断材料がないので不安がある。
私はどちらの選択をするか迷っていた。


 5月の連休は体調不良で2日も寝込んだため、連休明けを待ってどうしても病院に行く必要を感じ、胃カメラ検査に備え、前日10時以降の飲食は控えていた。
それでも当日の朝になってもなんとか行かなくてもいい理由を考えていた。
結局、選択したのはホームドクターのところでミニドックを受けることだった。
女医さんだが(と言う言い方は少しおかしいが)、町の赤ひげ医師的で、医療の技術者と言うよりは病気の相談者的なところがあり、以前から高齢者が患者でよく来ていた。
 そこで検査を受けながら、その先生に胃カメラ検査について迷っていることを正直に話して相談してみた。
「最近は鎮静剤を打つところがほとんどです。その方が患者さんもゲーゲー苦しまなくていいし、ドクターも検査がしやすいから。意識がなくなっているわけではなく、その間にあなたも受け答えをしているはずです。覚えてないというだけで」
 私がホームドクターとしてその先生を信頼しているのは、常に患者にわかりやすい説明をしてくれることと、自分の医院でできないことは、別の病院を紹介してくれるし、その場ですぐ電話をし、紹介状を書いてくれるからだ。
 だから信頼しているというのは変な言い方だが、結局、医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術ではないかと思う。
最近流行りの言葉で言えばインフォームド・コンセント(十分に知らされたうえでの同意)である。


 私が胃カメラ検査を怖くなったのは、この情報開示(インフォームド・コンセント)がしっかりなされていなかったからだ。
説明不足で、しかも選択ができない中での診察・治療は怖い。
ホームドクターと話をしたお陰で私の不安はかなり和らぎ、やはり過去のカルテがある病院に行くか、という気持ちになり帰った。
 だが、その日の午後、知人から他の病院を紹介され、結局、新しい病院で検査を受けることにした。
そこは鎮静剤を打つ方法も打たない方法も選べると聞いたからだ。
そして検査が始まった。
医師の説明を受けながら、モニターで自分の胃の内部を見ていく。
胃カメラが十二指腸の入り口までなかなか入りにくかったこともあり、時間もかかり、正直苦しかった。
でも、行われている診察をリアルタイムで見ている安心感はあった。
鎮静剤を打ってないため診察中ずっと緊張は続いたが。


 病院を替えるといろんな発見もあった。
「医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術」と先ほど書いたが、それらすべてのベースになるのはコミュニケーションである。
そして、このコミュニケーションを取りやすくするか否かは医師の態度が大きく影響しているということに気付いた。
事前説明をする時の態度、話すスピード、話し方によって、患者はその医師に信頼感を持ったり不安感を持ったりするのである。
さらに追加すると、施設内空間の演出、デザインである。
そこまでいわなくても、例えば薄汚れた感じの診察台、カーテン、汚れた備品(モニターその他の機器)、埃がたまった待合室の棚などを見ると、とたんに不安感が増してくる。
どんなに技術はいいと言われても、いきなりそれを信ずる気持ちになれないのは当然だろう。
 いま多くの医療機関が経費削減、効率主義に走り、人を減らしている。
その結果、直接医療行為に関係ない部分には手が回らなくなり、掃除すら出来なくなっている。
だが、病院もサービス産業だという認識に医療関係者全員が立つべきではないだろうか。
そうする方が病院経営を立て直すことができるのではないかという気がした。
医療機関も外部の人間を入れて改善委員会を作ってみてはどうだろう。
いっそNPOで医療機関経営改善委員会みたいなものを作ってみるか。
医療ミス・過誤、破廉恥行為など最近では「先生」はなんでもありになっている。信頼される医療とは何かを考えるには外部の力を入れた方がいいし、そのためのお手伝いならしてみたいと思う。


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