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上海レポート(1)ーー中国でリニアモーターカーに乗る


時速430km、全長30kmを7分20秒で走る
世界最速のリニアモーターカー


 この1、2カ月の間に香港、上海と立て続けに中国を旅行している。いずれも覗き見精神旺盛なブラブラ旅行である。よって移動はもっぱら歩きか地下鉄、列車。とうとう8日目には両足指にマメができてしまった。

 まず到着した空港は上海市東部の浦東空港。上海はこの5、6年の間に3回ほど行っているが、浦東空港に着いたのは初めてである。それまでは上海市西部の虹橋空港だったが、現在は国内線専用の空港になっている。

 空港からホテルまでタクシーかバスという手もあるが、せっかくなら世界最速とPRしているリニアモーターカー(以下、リニア)に乗ってみたいと思い乗り場へ直行。終点の龍陽路駅まで50元。エアポートバスに乗れば上海市内まで20元もあれば足りるからリニアの50元というのは高い。だが、この高いことが私に幸いしたのである。そのことは後に触れる。

 税関を通過し、空港内の銀行で両替を済まし、空港2階のリニア乗り場へ行く。リニア乗り場駅は中国語で「磁浮車站」。磁石で浮かして走る車の駅とは分かりやすい。
 車内に乗り込むと世界最速をアピールするように電光掲示板に刻々と数字が映し出されていく。やがて電光掲示板の数字が時速430kmを表示。世界最速を記録した瞬間である。

 「世界最速といっても一瞬ですよね。すぐスピードダウンするでしょう」
 口さがない連中はそう揶揄するが、浦東空港から龍陽路駅まではわずか30km。この短い距離で430kmまで出すのだから、さすがと感心すべきだろう。所要時間7分20秒。
 ただし、世界最速の旅を楽しめるのは朝8時半から夕5時半までで、それ以降の時間はバスかタクシーに乗るしかない。そう5時半までしか運行してないのだ。実はこのことも私に幸運をもたらしてくれた。

中国で忘れ物をしたら100%出てこない
と言われるのに、リニアの中に忘れ物


 龍陽路駅でリニアモーターカーを降り、重いトランクを持って地下鉄2号線に乗り、ホテルがある人民広場駅に着いた時、それまで背負っていたリュックサックがないことに気付いた。盗られたのではない。忘れたのだ、リニアの棚に。

 中国で忘れ物をしたらまず100%出てこないーー悲しいがこれが定説である。旅行雑誌にすらそう書いてある。
 後日、上海の取材先企業でその話をすると、相手の社長が「この国の人は人の物を盗るのをなんとも思っていない。通勤途中に私の前を走っているトラックから荷物が落ちると、道路から数人が走り寄ってあっという間に80kg以上はありそうな荷物を数人がかりで持ち去りましたから。あんなことはとっさの行動でできるものではありませんよ」と同情してくれた。
 「しかし、いまから30数年前に中国に行った時はホテルの部屋に鍵をかけなくても安全だったし、部屋に忘れたカメラキャップや捨てたつもりのスリッパまで次の宿泊地に届けられたんですよ」
 と話すと、「そんな時代もあったんですか」と感心された。
 いまの中国の風潮を見て、この国の人間は代々○○だからとか、そういう民族なのだという言い方は改めた方がいいだろう。日本人だってかつては勤勉で、助け合う民族と言われてきたが、いまはどうだ。

 真っ青である。自慢ではないが、私はいままで忘れ物をしたり、物をなくしたことは一度もない。傘だって盗られはしても置き忘れたことは一度もないのだ。それが上海くんだりにまできて忘れ物をするとは……。悔やんでも悔やみきれないが、どうすることもできないので、とりあえずホテルにチェックインした後、対策を取ることにした。

 それにしてもリュックがないことに気付いたのは、ミネラルウォーターを飲むために背中のリュックから取り出そうとして後ろに手をやると、そこにあるはずのリュックがないことに気付いたのだから、ドジとしか言いようがない。
どうも時々私の脳は旅先で活動を停止する傾向にあるらしい。決して老化のせいではないと思うが。

リュックの中には妻の遺骨が

 重いトランクを持って地下鉄の階段をエッチラオッチラと上り、外に出ると雨。この時ばかりはタクシーでホテルに行かなかったことを後悔した。泣きたくなるような気持ちでトランクを引きずりホテルの場所を探す。幸いホテルはすぐ見つかり、5、6分の距離だったので助かった。

 チェックイン後、フロントで事情を話してリニアの事務所に電話をしてもらう。しかし、「もう誰もいない、明日の朝8時半から開くから電話して下さい」とフロントの女性はすげない。この辺は日本と違ってなんとか連絡してやろうなどという素振りすら見えない。初日から大アクシデントに見舞われ落ち込む私に同行者が一生懸命慰めてくれるが、どんな言葉もむなしく聞こえる。

 問題はリュックの中身である。ノートパソコンにデジカメ、メガネが2つ、デジタル録音機、現在執筆中の資料etc。いつも仕事道具一式と書きかけの原稿資料は常に持ち歩くのが私の癖である。それが今回は裏目に出てしまった。

 激しい自責の念に駆られたが、それにはある理由があった。当初、中身を全部言わなかったが、実はリュックの中に妻の遺骨も入れていたのだ。
 妻が他界して4年。生前ほとんどどこにも連れて行かなかったので、せめてもの罪滅ぼしと思い、遺骨を小さな入れ物に入れ上海まで連れてきたのだ。いくらなんでも1人異国の地に置き去りにすることはどんなことがあってもできない。

高いリニア料金が幸いして奇跡が起こった

 結局、明日まで待つことなく、荷物をほどくや否やすぐリニアの終点駅まで逆戻りすることにした。実はこの時点でリニアの運行時間が5時半までとは知らなかったのだが、行ってみるとリニアの龍陽路駅は閉まっていて入れない。困っていると近くにいた中国人が親切に守衛室らしきものがあると教えてくれた。そこで事情を話していると、日本語を話せる中国人が一人出てきて、日本語で応対してくれだしたので随分助かった。
 その人はJTBの社員で、「90%以上出てくないと思って下さい。ただ、まだ列車が車庫に入っていないので、最終的な答えはもう少し後の時間になる」と言いながらも色々骨折ってくれた。結論は翌日待ちということになったが、彼は明日、日本人の担当者に伝えておくからと連絡先まで教えてくれた。

 一縷の望みをかけ、翌朝、JTBの日本人女性と数度電話でやり取りをする。「実は昨日は言わなかったが、妻の遺骨が入っているのです」。そう打ち明けると、電話口で女性の声が緊張したのが分かった。「それはお困りでしょう。もう一度交渉してみますから」と、いままで以上に熱心に中国側と交渉してくれた結果、リュックが保管されていることが分かった。まさに奇跡だった。

 この奇跡はいくつかの条件が重なった結果起こったようだ。
1つは50元という高い運賃。それだけの金を払って乗れるのは外国人か裕福な中国人であり、これが一般列車だったらまず出てこなかったに違いない。
 2つ目は乗った時間帯が4時半近くであり、リニアの運転時間が5時半で終わったこと。3つ目はJTBの親切な社員がいたこと。そして素早く行動し、電話ではなく現場で諦めずに訴えたこと。もちろん、妻が守ってくれたお陰なのは言うまでもない。
 初日から散々なトラブルに見舞われた上海旅行。さて、この後何が起こることやら。


05.7.27


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