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ピンチをチャンスに変え、弱小企業から脱しよう!


  チャンスさえあれば・・・。
そう思っている企業経営者は多い。
特に中小企業の中でも規模の小さな企業ほど、そう思っている。
だが、本当にチャンスはなかったのだろうか。
それともチャンスをチャンスと気付かなかっただけなのか。

 視点を変えたり、発想を変えれば簡単に実現できることがある。
ピンチと思っていたことも、発想を変え、別の角度から見ればチャンスになることはよくある。
しかし、固定観念に捕らわれていれば、見えるものが見えなくなってしまう。
そして案外、こうした固定観念に捕らわれている人は多いものだ。

 例えばK社の場合。
先代社長はとりたてて世話好きというほどではなかったが、人望も厚く、頼まれれば業界内外の役員を引き受けるなど面倒見のいいことで知られていた。
ところが2年程前、胃にポリープが発見され、入院・手術することになった。
幸い早期発見だったこともあり、ポリープの切除は内視鏡手術で行われ、結果も良好だった。

 ただ、入院・手術は外部には伏せられた。
これはよくあることで、入院が知れると見舞客が次々に訪れ、休養どころではなくなるからだ。
 幸い私はご本人の口から事前に知らされていたので、入院中2度ばかりお見舞いに行ったが、その時「おやっ」と感じたことがあった。
病室に会社の書類をしっかり持ち込まれていたのだ。
骨折等の外科手術なら問題ないが、内科の場合はなにより精神的な安定、静養を優先すべきで、できるだけストレスにつながりそうなものは持ち込まない方がいい。
入院中まで会社の書類に目を通していては休養どころではない。
なぜ、そこまでしなければならないのか。
そう思ったものだ。

 それから1年あまり後、突然お亡くなりになった。
後継者はご子息のM専務で、年齢は40前。
数年うちに社長職を譲ろうと考えていると聞いてはいたが、具体的には何もされてなかった。
それだけに突然、バトンを渡されたM専務の苦労は大変だったに違いない。
 こういう時、力になるのは先代の時からの番頭役だったり、外部で日頃から相談に乗ってくれている人だ。
社歴、前社長の交友関係から考えれば当然そういう人が社内外に多くいて当たり前だ。
そういう人達がアドバイスをしているだろう。
そう思っていた。

 ところが、一月経っても同社に目立った動きがなかった。
それとなく周囲の人に尋ねてみたが、誰もM専務が挨拶に来たとは言わなかった。
何をしているのだろう。
私にはM専務(すでに社長に就任していたが)の行動が理解できなかった。
というのは、ピンチに見える今こそチャンスと考えていたからだ。

 突然の社長の死と準備なきバトンタッチは一大ピンチでこそあれ、そのどこがチャンスだと怪訝に思われるかもしれないが、視点を変え、発想を変えれば、こんなチャンスは二度とないのだ。
 例えば選挙で最も強いのは弔い合戦である。
陣営が結束する上に同情票が入るから、通常以上に支持票が集まる。
後継者が若ければ若いほど同情票が上積みされる。
会社経営とて同じこと。
後継者が若ければ皆が応援してくれる。
多少疎遠だった人まで、この時期には「先代にはお世話になった」と言って、取り引きに応じてくれたり、取り引きを再開してくれたりするものだ。

 このチャンスを生かさない手はない。
そのためには時機を失してはいけない。
いかに早く挨拶回りをするかにかかっている。

「その節はお世話になりました。何分急なことで・・・、私ごときものに経営を背負っていく力などないのは明らかですが、従業員もいることですし、このまま会社を潰すわけにはいかないので、頑張らなければと思っています。どうぞ今後ともお力添えを宜しくお願いいたします」
 告別式に参列してもらったお礼を兼ねて挨拶に回れば、皆喜んで力を貸してくれるはず。なかにはその場で仕事を発注してくれる人もいるだろう。
実際、「Mさんも大変だろうから、来られたら仕事を回してあげるようにとうちの社員にも伝えていたんですよ」と言っていた人もいた。

 ところが、直後にK社から挨拶に来たという話は、少なくとも私の周辺では聞かなかった。
それから約1年。K社は某社に資本参加を頼み、某社の傘下に入ったようだ。
もし、あの時、ピンチをチャンスと捕らえて攻勢に出ていたら・・・。


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